2007.07.08
33.  連載の終わりに   軍事偏重、社会を圧迫 市民の力、希望つなぐ



 昨年七月から延べ二カ月半、二回にわたってアメリカ取材に取り組んだ。訪問地は十五州四十六都市。取材対象者は二百五十人を超える。紙面で紹介できたのはその一部だが、彼らへの取材を基に十一月十九日付から年末を除く毎週日曜日に特集連載を続けてきた。

 二〇〇一年の9・11米中枢同時テロ事件直後に、崩壊した世界貿易センター(WTC)ビルで救出活動に加わり健康と職と家庭を失った建設労働者、「テロとの戦い」の名の下に不当な逮捕や裁判にかけられてきたアラブ系市民やイスラム教徒、ホームレスや病気になったイラク戦争帰還兵、犯罪の多い貧困地区で必死に生きる若者たち、ハリケーン「カトリーナ」で大きな打撃を受けたニューオーリンズの住民、中南米からの移民労働者…。

 ブッシュ政権の戦争政策などを変えようとする議員や芸術家、学者、ジャーナリストら一部を除いて、紹介した人たちの多くは「世界で最も豊かな国」と呼ばれる社会の底辺で生きる人たちだ。世界の軍事費のほぼ半分を占める強大な軍事力を背景に、イラク戦争などを進めるブッシュ政権の政策は、対外関係だけでなく、アメリカ国内にも大きな矛盾をもたらしていた。

 連載を終えるにあたり、9・11同時テロ事件をめぐる未解明問題を含め、強く印象に残ったことを記しておきたい。

 ■「9・11調査を」

 同時テロから五周年を迎えた〇六年九月十一日。ニューヨークのWTCビル跡では遺族らが参列し、三千人近い犠牲者のための追悼記念式典が開かれた。式典を終えたその日午後、ビル跡そばでは「9・11を調査せよ」と刷り込んだ黒いTシャツを着た約百五十人が、訪れた市民や観光客らにビラを配っていた。

 「ブッシュ政権は、9・11同時テロ攻撃の情報を事前に知っていた。ビルの崩壊は旅客機の激突によるものではなく、事前に仕掛けられた爆発物が爆発したものである」との内容である。やがて集会を始めた彼らは「9・11は(米政権)内部の仕業だ」と訴え、ブッシュ政権とつながりがあるとするWTCビルを所有する企業の本社まで約一キロをデモ行進した。

 北棟と南棟のWTCツインビル(百十階建て)や、飛行機の直撃を受けていないWTC第七ビル(四十七階建て)の崩壊については、早くから建築家や物理学者ら専門家から疑問の声が上がっていた。

 特に十一日の夕方に倒壊した第七ビルについては、「鋼鉄製の柱や梁(はり)を使った高層ビルで、これまでに火災により完全に倒壊したビルはない」「まっすぐに崩壊していくその過程は、爆発解体によってのみ可能だ」と、物理学者のスティーブン・ジョーンズさんらによって詳しい分析がなされている。

 同ビルで清掃員として二十年間働き、奇跡的に助かったウィリアム・ロドリゲスさんは「飛行機が激突する直前に北棟ビル(WTC1)の地下で爆発音を聞いた」「地下から全身にひどいやけどを負った人が上がってきた」と自らの体験を公の場で何度も証言している。

 マスターキーを持っていた彼は、部屋に閉じ込められた多くの人々を救出。ブッシュ大統領から「国民的英雄」とたたえられ、公式の「9・11調査委員会」でも証言した。だが、彼の発言は公式記録に残されていない。生き残った彼の同僚や救出に当たった消防士らの中にも「爆発音を聞いた」という人は多い。

 国際法学者として著名なプリンストン大学名誉教授のリチャード・フォークさんらは、軍事的、経済的、政治的世界支配を目指すネオコン(新保守主義者)たちによって支配されたブッシュ政権と9・11事件の関連について指摘している。

 チェイニー副大統領、ラムズフェルド元国防長官、ウルフォウィッツ元国防副長官らネオコンたちによって構成されるシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)は、彼らが政権中枢に就任する前の二〇〇〇年九月に「アメリカの防衛再建」と題して論文を発表。世界の超大国としての指導的立場を維持するためには軍事予算を大幅に増額し、宇宙の軍事的支配や、世界の複数の地域で同時に、決定的に勝利できる戦闘能力を持たなければならないとしている。

 しかし、こうした軍事的な変革をもたらすには国民の理解を得て予算を獲得しなければならず、「新たな真珠湾攻撃のような壊滅的かつ触媒的な事件」が起きない限り、長い時間を要するだろうと書かれている。

 フォークさんは真珠湾攻撃のような事件を求めていたブッシュ政権にとって、「9・11事件は願ってもない出来事」であり、両者の関係に十分疑念を挟む余地があるとしている。

 一九四一年十二月の旧日本軍による真珠湾攻撃が引き合いに出されるのには理由がある。当時のルーズベルト大統領ら米政府指導者は、日本軍の機密コード解読によってあらかじめ攻撃を察知。ところが、あえて攻撃をさせることで国民の強い支持を得て、太平洋戦争に乗り出したという歴史的事実に基づく。

 9・11同時テロ事件をめぐっては、国防総省ビルに突入したとされる飛行機が「巡航ミサイル」であったとする説など疑問点が多い。現場に立ち会ったロドリゲスさんのような証言のほかに、こうした疑問点について分析・解説した専門家らによる出版物や映像資料が数多く世に出ている。

 アメリカの世論調査会社「ゾグビー・インターナショナル」が〇四年に実施した世論調査によると、ニューヨーク市民の49%、ニューヨーク州民の41%が「政府は事実を隠している」と答えている。

 9・11テロで直接犠牲になった大勢の人々、救出活動で死亡したり、病気で苦しんでいる数万人の建設労働者や警察官や消防士、この事件を契機に戦争が始まり、死傷したり生活が破壊されたりしているアフガニスタンやイラクの無数の市民たち…。

 こうしたあまたの犠牲を思うとき、私自身はブッシュ政権がテロ攻撃をあらかじめ知っていたというようなおぞましい考えは持ちたくない。アメリカ市民の多くは、私以上にその思いが強いだろう。

 ただ、真珠湾攻撃のように、後に事実が判明した事例はアメリカにはいくつもある。例えば、北ベトナム軍の哨戒艇がトンキン湾で米駆逐艦に二発の魚雷を発射。これを理由に米軍が北爆を開始した「トンキン湾事件」(六四年)は、今なお私たちの記憶に新しい。

 機密文書から「アメリカが仕組んだ」ことが明るみに出たのは七一年。9・11テロ事件についても、同じようなことが十年、あるいは数十年後に判明しないとも限らないのである。

 ■細る白人中間層

 この連載のため、アメリカ取材に出かけて丸一年がたつ。この間に(いや、恐らくはここ数年の間に)変わったことと変わらないことがある。

 一番の変化は、イラク戦争を支持しないアメリカ人が増えたことである。「テロの恐怖」に対して、それと戦う「強い大統領」として人心を掌握してきたブッシュ大統領。しかし、イラク戦争が混迷し、アメリカ兵の死傷者が急増することで、神通力も利かなくなった。昨年十一月の中間選挙で上下両院とも民主党に敗北したことが、この間の変化を象徴している。

 ウルフォウィッツ国防副長官は〇五年に政権を離れ、ラムズフェルド国防長官は〇六年十一月に泥沼化するイラク戦争の責任を取って辞任に追い込まれた。チェイニー副大統領らが残っているとはいえ、彼らが描いていた世界戦略を一気に実現させようとしたネオコンの影響力は後退したといえるだろう。ブッシュ大統領の支持率も20%台に落ち込み、政権のレームダック(死に体)化がささやかれるほどだ。

 イラク戦争をこぞって支持した新聞やテレビなどの主流メディアも、一部を除き緩やかな変化が起きているようだ。正面から自己批判をしたのはニューヨーク・タイムズなどに限られているが、以前より批判の目を向けるようになった。

 変わらないのは極端な貧富の差である。黒人や中南米出身のラティーノらに貧しい人たちが多い。市場原理主義経済の必然の帰結ともいえるが、中産階級に属していた白人たちの中にも、突然の失業や大病などによって貧困層に加わるケースが増えている。そのことが、四千六百万人余もいる健康保険の非保持者の数を増やす要因ともなっている。

 五千億ドル(約六十兆円)を超える軍事費が、教育や福祉、防災や環境対策にしわ寄せをもたらしているのも相変わらずだ。老朽化した公立校の施設や教員の安い給与。カトリーナの被害者たちの多くはなお避難先で暮らすなど厳しい状況に置かれている。ハリケーンなどに対する抜本的な防災対策も遅れている。

 包括的テロ防止法として、9・11同時テロから一カ月半後に成立した「愛国者法」によって、アラブ系住民が不当に逮捕されたり、平和活動にかかわる市民の人権が侵されたりという事態も続いている。

 核開発の拠点であるロスアラモス国立研究所やローレンス・リバモア国立研究所では、「信頼性のある代替核弾頭(RRW)」の研究開発を進めるなど、核軍縮に向かう姿勢はみじんもない。一方で、放射性物質や化学物質で汚染された核施設や軍事施設の汚染除去予算は削減されているのが現実である。

 ■憲法精神生かせ

 私は常に、日本の政治や社会の現状を思い浮かべながら取材に取り組んできた。ブッシュ政権と同じ年に誕生した小泉政権は、イラク戦争への支持や日米軍事一体化の推進、市場原理主義経済の導入と、どれを取ってもアメリカ追随外交の五年五カ月であった。引き継いだ安倍政権は、軍事一体化を一層強化しようとしている。

 ブッシュ政権に批判的なアメリカ国民は多い。日本がただ単に時の政権に迎合しているだけでは、隣国アジアをはじめ世界の人々、そして当のアメリカ人からさえ信頼を失うことになる。

 憲法の精神に根差した日本独自の平和外交を展開すべきである。憎悪と暴力に支配された世界の現状をいかに克服するか。そのための指針を示し、戦争のない平和でより公正な世界の構築に向け、イニシアチブを発揮すべきである。ヒロシマ・ナガサキの悲惨な被爆体験と、その体験から生まれた平和思想こそ、そのために大きな役割を果たすだろう。

 ほんのわずかでもこうした考えを持っておれば、「原爆投下はしょうがない」という久間章生前防衛大臣のような発言は決して出てこないはずである。

 ロスアラモスやリバモアの核研究所のひざ元で、核兵器廃絶や戦争のない世界を目指して粘り強く活動を続ける人々。各国に「平和省」の設立を働きかける議員や市民たち。世界の子どもたちに他者への敬愛の心をはぐくみ、話し合いによって対立を解決する術(すべ)を広めようとする音楽家や教育者…。

 こうしたアメリカ人は、人間としての良心と強い信念を抱いている人たちである。彼らは核抑止力など違った価値観を持つ人たちとも積極的に対話を続け、新しいアメリカ社会を築こうと地道に活動を続けている。そして「モラル」において再び世界の人々から失った信頼と尊敬を取り戻したいと心から願っている。

 全米各地を歩いているとこのような人々に多く出会う。一方で激しい貧富の差や、愛国者法に基づく人権侵害、人種差別、軍事優先思想など矛盾があるのも事実。私たちはアメリカ社会が抱えるこうした問題を反面教師にしながら、心あるアメリカ人の活動から学び、共に力を合わせて歩みたいものである。


世界貿易センタービル跡地そばの歩道で、9・11同時テロ事件は「政府内の仕業」と跡地を訪れた人たちにアピールする市民たち。政府の公式調査委員会の最終報告書は「真実を伝えていない」と、真相を追究する声は国内外に広まりつつある(ニューヨーク市) 世界貿易センタービル跡に近い消防署の資料館に展示された9・11同時テロ事件後のさまざまな現場写真パネル。現地を訪れたブッシュ大統領は、救出活動に携わる消防署員らを「ヒーロー」とたたえた(ニューヨーク市)
ワシントン州の州議会前の広場で、ベトナム退役軍人らによって立てられたイラク戦争で戦死したアメリカ兵の墓標。プラスチック製の墓標には戦死者の名前などが記されている。戦死者の数は6月末までに3580人に達した(オリンピア市) 2005年8月末のハリケーン「カトリーナ」で屋根まで浸水し、放置されたままの民家。壁には「再建のためにどうか寄付をしてください」と書き、連絡先の電話番号を添えている(ニューオーリンズ市)
ブッシュ大統領、ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領の顔を模したはりぼてをかぶり、イラクからの米軍即時撤退を訴え目抜き通りを行進するデモ隊。政府首脳のうちラムズフェルド国防長官は混迷するイラク情勢の責任を取り、昨年11月に辞任した(ワシントンD.C.)

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