県・広島市、遅れた判断

'99/7/1 朝刊

 広島県内を同時多発的に襲った今回の集中豪雨では、死者・行方 不明者が三十一人に上った。豪雨禍としては、十四人の犠牲者が出 た一九八八(昭和六十三)年の「加計豪雨」を上回った。二十九日 夕から被害が拡大していったにもかかわらず、県が災害対策本部 (本部長・藤田雄山知事)を設置したのは、翌日の三十日午後三 時。全国一の急傾斜地・土石流危険渓流を抱える県の対応は後手に 回り、重い教訓を残した。

 県は、広島市内で土砂崩れが相次いだ二十九日午後四時半、県民 生活部長を本部長とする災害警戒本部を設置。消防防災や河川、福 祉保健など関係七課長が本部に詰め、情報収集や警戒に当たった。

 その後、呉市など芸南地方でも土砂崩れが多発。同市が県に自衛 隊の災害派遣要請をするなど、夜に入って被害は拡大した。

 しかし、県は地域防災計画で「複数の市町村で大規模災害が発生 した場合」などと規定している災害対策本部を設置しなかった。警 戒本部で、市町村や消防などからの情報収集にあたったが、新聞や テレビの取材で死者が七人を超えた午後十時になっても、県が確認 していたのは三人。情報収集の遅れが目立った。

 二十九日夜に災害対策本部を設けなかった理由について、県民生 活部は「機能や権限は警戒本部と実質的に変わらない」と説明して いた。

 ところが一夜明け、被害はさらに拡大。加計豪雨を上回り、三十 五人が犠牲になった四七年の県北豪雨以来の大災害となり、ようや く災害対策本部の設置に踏み切った。

 死者・行方不明者が出た二十一カ所のうち、広島市佐伯区五日市 町など十四カ所は急傾斜地崩壊危険個所、広島市安佐北区亀山九丁 目など二カ所が土石流危険渓流の区域内とみられる。県内には、急 傾斜地崩壊危険個所が五千九百六十、砂防法による土石流危険渓流 が四千九百三十カ所もあり、いずれも全国最多。県庁内にも「万全 の対応だったか」との指摘がある。

 加計豪雨の際も県は対策本部設置が遅れ、対応が後手に回った。 今回の対応について渕上俊則総務部長は「警戒本部も災害対策本部 と同等の機能、権限があるが、災害に対する認識が不足していた点 は反省しなければならない」とし、「今後、災害対応を再検討した い」と話している。

避難勧告の徹底できず

 広島市は予測を超える突然の災害に振り回された。避難勧告など を徹底する余裕はなく、被害の大きさをつかむのも遅れ、自衛隊の 派遣要請は三十日未明にずれ込んだ。

 死者・不明十九人が出た今回の災害は、市消防局幹部が「過去、 記憶にない規模」と言うほど。二時間に一〇〇ミリ前後という突発的 な豪雨に、報道機関などを通じた避難勧告や避難命令は結局、出せなか った。百二十一世帯、千三百六十九人を学校などに避難誘導(自主 的避難を含む)したにとどまった。

 秋葉忠利市長が県知事を通じて自衛隊へ派遣要請したのは被害が 出始めて十二時間余りたった三十日午前四時。佐伯区五日市町上小 深川で二十九日夕に起きた土石流が一~二キロにわたる規模である ことが同日深夜になって分かり、急きょ要請した。

 久保田浩二消防局長は「当初は小規模災害が多発し、消防署員、 団員や区役所職員と土木業者の連携で対応できると判断した」と説 明する。現場を撮影した航空写真が、市消防局の水防本部にいた久 保田局長に届くまで七時間かかったことも、判断を遅らせた。

 秋葉市長は「状況の変化に応じ、適切な対応をした」としてい る。

【写真説明】救出作業をする自衛隊員ら(30日午前8時10分、広島市佐伯区五日市町上小深川)


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