冷戦が終わって十余年。だが今ほど核の脅威が高まっている時はない。泥沼化するテロとの戦いと「核の闇市場」の向こうに「使える核」の狂気がのぞく。足元に核が忍び寄る重苦しさのなか、広島はきょう被爆五十九年の「8・6」を迎えた。折しも広島市沖の似島で被爆者の遺骨が見つかった。強い警告のメッセージであろう。あらためて「原点」から核兵器廃絶のうねりを高めたい。
遺骨が見つかった島の南東側、今は似島中学校が立つ場所に旧陸軍馬匹(ばひつ)検疫所があった。フェリー乗り場から峠道を歩いて約二十分の距離だ。
あの日、似島に運ばれた被爆者は約一万人。救護所になった検疫所のコンクリート床に横たわり、暑さと人いきれ、血のにおいの中で次々に息絶えた。あまりの多さに火葬が追いつかず、重なりあって土葬にされたという。
掘り返した土のにおい、まとわりつく熱気、被爆者の呻吟(しんぎん)のようなせみ時雨に息苦しさを覚えた。半世紀以上たってなお遺骨が掘り出され、「もしや…」と肉親の最期を確認しようと訪れる遺族がいる。人間と家族、地域社会をも根こそぎ葬り去る底知れない原爆の残虐である。
ほころぶNPT体制
その原爆を秘密裏に製造する「核の闇市場」が今年二月、明るみに出た。パキスタンの「核開発の父」カーン博士が、核兵器開発技術や機器をパキスタンを中心に欧州、中東、北朝鮮を含むアジアに広がる「核の闇市場」に流していたと告白したのだ。懸念されていたリビアや北朝鮮など一連の核拡散が裏づけられると同時に、核拡散防止条約(NPT)体制の矛盾とほころびも浮き彫りになった。
一九七〇年に発効したNPTは米、ロ、英、仏、中国の五核大国だけに核兵器の保有を認める「不平等条約」である。だからこそ核拡散防止と核軍縮は表裏一体でなければならない。二〇〇〇年のNPT再検討会議で核保有国が核兵器廃絶の「明確な約束」をしたのもそのためである。
許されぬ小型核開発
だが核軍縮は進まず、非核保有国は不公平感と疑心暗鬼を募らせ核の誘惑に駆られる。リビアや北朝鮮などの動きもそうした延長線上にある。米国の肝いりで今年の先進国首脳会議(G8)は、大量破壊兵器の拡散防止構想(PSI)に合意した。だが核保有国が主導する新ルール構築には、核の平和利用までも制約されかねない途上国の反発は必至だ。
こうした現実ではいくら繕ってもほころびはなくなるまい。最も効果的な核不拡散の方法は核兵器の全廃だ。核兵器があるから持ちたくなる。非核保有国の監視を言う前に核削減に真剣に取り組むのが核大国の責任だ。四年前の約束をいつまでに、どう履行するのか明確に示さねばならない。そのためのイニシアチブを米国がとるべきだ。そうした姿勢を見せてこそテロとの戦いにも世界の共感が広がろう。
その米国は核の闇市場の広がりを「小型核」開発の口実にする。ブッシュ政権は大量破壊兵器を持つ「ならず者国家」や、テロリストの地下要塞(ようさい)などを破壊する「使える核」の開発を急ごうとしている。対抗してロシアも小型核開発に乗り出す考えだという。冷戦の思考から抜け出せない愚行というほかない。
米国の核の傘に入る「唯一の被爆国」の政府は積極的に異を唱えるわけでもない。それどころか自衛隊の多国籍軍参加など「対米追随」に傾斜を強め、小型核開発には「慎重な対応を求める」と及び腰だ。被爆国としてなぜ強く反対できないのか。
広島市の秋葉忠利市長はきょうの平和宣言で、平和市長会議(議長・秋葉市長)が提唱する「緊急行動」を世界に呼びかける。来年五月のNPT再検討会議で二〇二〇年までの核兵器廃絶実現への道筋をつけるのが狙いだ。あらゆる都市、市民、NGO(非政府組織)が呼応して盛り上げたい。
政府動かす市民の力
すでに平和市長会議に賛同する米・ニューヨーク市議会が「核兵器廃絶宣言」をしている。国内の自治体から海外の姉妹都市に「核兵器廃絶宣言」を呼びかけてはどうだろう。政府の重い腰を上げさせ国際政治を動かすのは各国の市民であり、世論である。
昨年末から広島国際文化財団が始めた広島世界平和ミッションも民間レベルの試みだ。各国の市民らと交流を深め信頼を築き、ヒロシマを伝える。平和ミッション第一陣と交流したイランの八人が平和記念式典に出席する。まいた種が芽吹いている。
歴史家の故・網野善彦さんは近著にこう記している。人類社会は豊かさを求めひたすら開発を進めることに疑いを持たなかった「青年の時代」から、自らの内に”死”の要因を抱く「壮年の時代」に入った。それは一九四五年八月六日の広島に始まった―と。
米国がイラクで実行した「先制攻撃」が「先制核攻撃」にエスカレートしないという保証はない。われわれはそうした危うい時代に生きている。
被爆者の平均年齢は七十二歳を超えた。訴えは年々届きにくくなり、時に無力感にも襲われる。それでも壁を崩し、次の時代を引き寄せるため「原点」の力を結集しよう。
    
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