社説・天風録
(天風録)流木作家の復活 '04/8/6

山下正人さんは九年前、六十九歳で亡くなった。広島市近郊の坂町小屋浦で衣料品店を営みながら、原爆の絵や彫刻を通して平和を訴えた。十八歳で被爆死した弟への思いを、文章や絵本にしてきた▲多くの作品のうち、流木に仏の顔などを刻んだ二十四体が昨夜、広島市平和記念公園に並んだ。呉市のプロダクションがドキュメント映画の撮影用に置いた。怒りを表した「憤怒の像」、柔和な表情の「平和の像」などが、ろうそくの灯で浮かび上がった▲絵が好きで、近所の人の肖像画を描いたり、公民館で墨絵を教えたりしていた山下さんが、流木に出会ったのは四十数年前。芸北町の樽床ダム湖畔で、家族と弁当を食べていた時だった▲流木は鳥に見えた。「風雪にさらされた木の肌の美しさ、形の変化と線の流れのすばらしさは、私の心をとらえてはなさなかった」(著書「流木の詩」)。さまざまな形をした流木は、円空仏であったり、人の手であったり、無残な姿になった被爆者に見えたりもした▲ダム通いが始まった。拾い集めて彫った流木は千五百体をゆうに超えた。死後、作品が埋もれているのを知った友人が、この春から坂町にある建材店の一角で、展示を始めた▲衣料品店跡には描き残した多くの絵が、遺族によって飾られている。開催中の広島平和美術展では、流木を求めて通い続けた「芸北路」の風景画が展示してあった。一連の作品は、友人たちの手で再びよみがえろうとしている。

MenuTopBackNextLast

ホーム