社説・天風録
(天風録)60年の8・6 '05/7/28

広島県北広島町の光明寺に疎開していた一九四五年八月六日、原爆で母、姉と弟を失った木村靖子さん(69)=東京・中野区。「見つからなかった遺骨を踏んでいる」ようで、積極的に広島へ足を運べなかった▲でも今年は八月五日夜、光明寺近くの八重東小で体験を語る。悲しい記憶をつづった著書に基づき、映画化された「白い町ヒロシマ」が上映されるからだ▲四九年に広島を離れて以来、「つらさから逃げた時期もあった」。「白い町…」出版(八三年)などで約十年間、被爆体験と向き合った後は目立った継承活動をしていない。昨年十一月、母たちの遺影を広島市中区の追悼祈念館に登録。六十年を前に気持ちの区切りもつけた▲なのに上映会へ…。被爆体験の風化が頭をよぎり「残された時間は限られている。被爆死した家族に代わって伝えなければ」との思いに駆られたからである。久々に原爆慰霊碑にも参拝し、六十年を新たな出発点にする▲八月六日が近づくと、呉市出身の画家久保俊寛さん(63)=千葉市緑区=は何かしなければと落ち着かなくなる。今年はライフワークの「五百羅漢図」創作に没頭することで原爆死没者を悼む▲今春、原爆の惨禍を題材に「黒い雨・同盟シェルターの人人」(縦一・二メートル、横二・三メートル)を発表。壁画化を考えている。画業四十年。「ヒロシマから出発した画家の使命は何年たっても変わらない」。それぞれの思いを胸に、節目の日を迎える。

MenuTopBack

ホーム