ヒロシマはきのう、六十一回目の「原爆の日」を迎えた。核兵器廃絶の願いは、かなうどころか危機的な状況だ。小泉純一郎首相は今年もさっさと広島を後にした。それでも私たちは望みを捨てるわけにはいかない。
平和記念式典で首相は「憲法の平和条項を順守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて国際社会の先頭に立ち続ける」と述べた。米国に国防政策を左右され、憲法改正論議もかまびすしい今、額面通りに受け止める人はいないだろう。
就任以来過去五回ずつ、広島と長崎の式典に参加したとも語った。「皆勤」をアピールしたつもりだろうが、国の方向は被爆者の望む姿からずれる一方だ。通り一遍の原稿を棒読みする声は例年同様小さく、聞き取りにくかった。
「被爆者代表から要望を聞く会」は五年連続欠席した。「たとえ『ぬかにくぎ』でも話がしたかった」。広島県被団協理事長の坪井直さん(81)は憤っていた。「最後の最後までないがしろにされた」。小泉首相は九月に退任する。高齢の被爆者に接する機会はもうそうあるまい。
望みはある。体験のない世代の最近の動きを大切にしたい。
ここ数年、五日夜の平和記念公園周辺は映像や音楽など多彩な表現活動が盛んである。年齢も国籍もさまざまな人が足を止め、見たり聞いたり、時には話し込む。
広島市出身のこうの史代さん(37)が被爆後の暮らしを描き、映画化も進む漫画を、島根県の女子高生がきのう公園近くで一人で演じた。ピースTシャツのデザインや、一見場違いなバーやクラブでの被爆証言の集いも出てきた。
携わる人の多くが平和学習が苦手だったという。映像や証言により原爆の悲惨さを学ぶ一般的な手法だけでは、核廃絶、戦争否定に導くには限界があるのだろう。
きのうの式典でこども代表は、木下あいりちゃん事件を引き、命の重みと当たり前の平和を知った―と語った。広島市内の小学生の作文を持ち寄って練った内容だ。同年代の無念をわが身に引き寄せて、平和を素直に深く考えた。
ヒロシマや平和への関心を尊重しながら歴史をどう伝え、核のない世界実現に結びつけるか。秋葉忠利広島市長は平和宣言で「岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って」と表現した。その根っこはうまず、たゆまずの地道な歩みしかない。
    
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