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(天風録)「歴史をかえせ」 |
'06/8/7 |
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爆心から約八百メートル南にある広島市中区大手町の長遠(じょうおん)寺。8・6法要の日、西区の豊岡啓孝さん(70)は墓に手を合わせた。「長野屋」とある。江戸時代、今の中区本通にあった大きな仏具商。その子孫に当たる▲家に、肖像の軸と屏風(びょうぶ)が伝わる。肖像は三代目の彦二。僧衣姿で切れ長の目が涼しい。「四十路(よそじ)の坂を越ゆる間もなく世を譲り」と、隠居して風雅の道に進んだ一文が添えられる。屏風は慣れた筆致の四季山水図。「絵師を逗留(とうりゅう)させて描かせたのでは」と表具師は見立てた▲戦争末期の一九四五年、豊岡さんは北広島町に学童疎開した。冬は寒い。ご飯も十分に食べられずひもじい。見かねて母親が近くに疎開してくれて一緒に住んだが、その時に家から持ってきたのが、大切な軸と寒さしのぎの屏風だった▲原爆を免れて今に残るのはそのおかげだ。ただ「蔵の中に山のようにあった」というおびただしい古い書画や書き物はすべて灰になった。市内にあった多くの古いものも同じ運命をたどった▲残されたものがあればそれをよすがに過去をイメージできる。屏風と軸から見えるのは、経済的なゆとりを背景にして栄える当時の町人文化だ。裏返せば原爆でどれほどの「よすが」が奪われ、どれだけ街の奥行きが見えなくなったことか▲六十一年たってますます深い喪失感。ちちをかえせ ははをかえせ にんげんをかえせ―という峠三吉の絶唱に、もう一行つけ加えたい衝動に駆られる。「れきしをかえせ」と。
    
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