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平和祈念館の朗読サポーター、活動1年 '06/7/13

 ▽被爆体験継承に欠かせぬ支援

 被爆体験記や原爆詩の朗読会を開く国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)の朗読サポーターが活動を始めて一年がたった。幼稚園などに自らが働きかけ、朗読会の開催に結びつける取り組みを続ける。被爆体験の継承のすそ野を広げる役割を担うが、活動の場を開拓する難しさに直面し、半数以上が辞めた。せっかくの意欲を形にできるような支援が欠かせない。(桜井邦彦)

 原子爆弾が落ちると 昼が夜になって 人はお化けになる―。ゆうき幼稚園(東区)で六月初めにあった朗読会。サポーターが詩を読み上げ、子どもたちに声に出してみるよう促す。園児約九十人も元気よく続けた。

 「詩が心に響いているのか、終わった後に『覚えたよ』って詩を口ずさむ園児もいた」。サポーター仲間四人と主催した東区の主婦望月真美さん(35)は喜ぶ。詩四本を朗読し、被爆して十二歳で亡くなった佐々木禎子さんの紙芝居を読んだ。

 同幼稚園での朗読は昨年秋以来、二度目。望月さんがPTA会長をする縁で実った。「まず、どこに持ちかけたらいいかが分からない。つながりがある場所を頼らないと朗読の場を見つけるのは難しいんです」と望月さんは悩みを打ち明ける。

 ▽意欲生かす狙い

 祈念館は二〇〇四年度、被爆体験を継承するため朗読事業を計画。朗読ボランティアを公募した。このとき、ボランティアの選考に漏れた多くの人から「継承に何か役立ちたい」との声が相次ぎ、意欲を生かそうと、祈念館が昨年六月にサポーター制度を設けた。

 しかし、修学旅行の学校などからの申し込みは、祈念館が約六十人のボランティアに割り振る決まりで、サポーターは独自に活動の場を見つけることが前提だった。

 ▽交渉苦手な人も

 六月末までの朗読会の回数をみると、昨年三月にスタートしたボランティアは百十六回なのに対し、サポーターは一年で四十回。対外交渉が苦手な人も多く、開催までこぎつけるのが難しいという。スタート時に約九十人いたサポーターも約四十人に減った。

 それでも月一回、継承への情熱を胸に祈念館に集まり研修を重ねる。

 「自分で道を切り開く楽しさを体験できた。まだ、続けるよ」と張り切るのは、安芸高田市向原町の主婦杉谷ミズヱさん(76)。友人の仲介で昨年八月、向原中、小で一回ずつの朗読会は、被爆者の杉谷さんが初めて体験を語った場。あの日、二つ下で中一の弟は学校に出かけて帰って来ない。国民学校の体育館に並んだ被爆者の遺体の服をはぎ、弟にあった虫垂炎の傷あとを一心に探したつらい記憶だ。

 「『家族を引き裂く戦争がなぜ起こるの』と、疑問だけでも胸にしまっておいてくれればいい。黙っていては何も伝わらん」。父母は体験を語らぬまま亡くなった。伝える意義を見いだそうとサポーターになった杉谷さん。活動が弾みとなり、この夏も同小と向原幼稚園での開催が決まった。

 ▽被害ビデオ提供

 ボランティアのように証言の場を割り当てることまではしていないが、祈念館はサポーターの朗読会開催の交渉に職員が同席するほか、原爆被害をまとめたビデオを提供して活動を支援しているという。

 「無関心な人を掘り起こす大切な存在」。サポーターについて広島市中区で話し方教室を主宰する朗読ボランティアの藤本佳子さん(70)は評価する。ボランティアとサポーターが、お互いに役割を補完しあえるような関係をつくるため、意見を交換する会の新設を提案している。

【写真説明】ゆうき幼稚園で開いた朗読会で、佐々木禎子さんの生涯を描いた紙芝居を読み聞かせる朗読サポーター(6月3日)


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