原爆の爆心のほぼ直下だった旧広島県産業奨励館(原爆ドーム、広島市中区)に隣接する民家で被爆した庭石が九日、爆心地にほど近い本川小(中区)に運ばれた。東門わきの道路沿いに据え、平和学習などに使われる。
縦横がそれぞれ約五十センチ、高さ約一・三メートルの御影石。熱線で上部が変色し赤茶けている。当時、奨励館の東隣に自宅があった映像制作会社社長の田辺雅章さん(69)=西区=によると、田辺さんの祖母がくぼみになった部分に水を張り、手水鉢(ちょうず)として使っていたという。
戦後、ドームのそばで土産物店「原爆一号の店」を営んだ吉川清さん=一九八六年に七十四歳で死去=が六三年、立ち退きで引っ越す際に中区江波東の自宅に持ち帰った。それから四十四年を経た今年、妻生美さん(86)が自宅を取り壊すことになり、原爆資料館の仲介の結果、「せっかくなら平和学習に役立てて」との田辺さんの願いを受け本川小への設置が決まった。
この日は、造園業者が石にこもを巻き、吉川さん宅から本川小へ運びこんだ。固定した後、児童らが周辺を整備し、十九日には田辺さんを招いて体験を聞く。
当時、疎開していた田辺さんは、両親と弟を捜して二日後に入市被爆した。「爆心直下で熱い思いをした証人が『古里』近くに落ち着くことになり、うれしい。あの日の悲惨さを想像し、平和を考えるきっかけにしてほしい」と話す。
本川小の空間浩道校長は「平和を祈り、爆心直下の石を守ってきた多くの人の思いも子どもたちに伝えたい」と話していた。(森田裕美)
【写真説明】(上)本川小に移された庭石のそばで被爆前の様子を説明する田辺さん(下)本川小への移設前、吉川さん宅に置いてあった庭石
    
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