米カリフォルニア州生まれの日系二世で、戦前の広島で育ったニューヨークの画家ツトム・ミリキタニさん(87)が六日、平和記念公園(広島市中区)であった平和記念式典に初めて参列し、被爆死した兄らの冥福を祈った。十八歳で米国に帰ってから七十年近く、写真などを通じてしか知らなかった被爆地広島。復興ぶりに目を見張り、「モダンビルディングがいっぱい。もう悲しくはない」とうなずいた。(藤村潤平)
トレードマークの赤いベレー帽をかぶったまま午前八時十五分の黙とうを迎えた。両目を閉じ、おなかの辺りで軽く手を合わせながら、長兄や、横川(現西区)で一家全滅したと伝え聞く叔母家族のことを思い浮かべたという。
日本が軍国主義の色合いを強める中、芸術家を志し、「自由な国」と信じた米国に帰った。だが、やがて太平洋戦争が始まると強制的に日系人収容所へ送られ、市民権を放棄させられた。
戦後はコックなどで生計を立て、一九八〇年代後半からはニューヨークの公園や店の軒先で寝泊まりしつつ、ボールペンなどで描いたネコの絵を売った。再び目指した「芸術家」。だが、国に裏切られた反動からか、公的な社会保障制度には背を向けた。路上生活の時期も長かった。
偶然絵を買ったリンダ・ハッテンドーフ監督がドキュメンタリー映画で取り上げ、波乱に満ちた半生に光が当たった。二〇〇六年に完成した「ミリキタニの猫」は、米中枢同時テロの発生で騒然とする街の中で、黙々と絵筆を振るう姿を描く。広島、東京などでも来月公開される。
米国への敵意を毅然(きぜん)と示した反骨の老画家。式典終了後は柔和な笑顔も見せ、周辺にそびえるビル群を背に「平和は素晴らしい」とピースサインをつくった。
【写真説明】原爆慰霊碑前に花を手向けるミリキタニさん(撮影・増田智彦)
    
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