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【社説】核のない世界へ 探そう私にできること '09/8/7

 「Yes we can(絶対にできます)」。広島市の平和記念式典で初めて英語を交えた秋葉忠利市長の平和宣言は、オバマ米大統領の演説でおなじみのフレーズで結ばれた。

 核兵器のない世界を目指す、という米国からの追い風がある。そして原爆症認定訴訟の原告全員を救う、という政府の決断もあった。被爆から64年を数える今年は、ヒロシマにとって大きな節目の年となった。

 宣言は「私たちは世界の多数派」とも言う。「2020年までの核兵器廃絶」を掲げる平和市長会議の目標は世界の潮流、との確信が伝わる。4月のプラハ演説に展望と勇気をもらった証しだろう。市議会議長や広島県知事のあいさつもまた、共感を織り込んだ内容だった。

 「私たちにはできる」という言葉は、人々がその立場や環境でできることを考え、足並みをそろえれば道は太く確かなものになる、と気づかせてくれる。

 例えば小学生にもできることがあろう。こども代表の誓いに、それが示されている。けんかなど身の回りの争いごとを自分のこととして考える。平和を学ぶだけでなく、絵や音楽の表現で海外に伝えていく…。

 中高生の間には具体的な動きも広がっていた。平和記念公園で核兵器廃絶を求める署名を集めたのは広島、沖縄の生徒だ。

 広島市内の公私立高7校の放送部員は、原爆詩の朗読で欧米やアジアの同世代と交流した。互いの言葉で峠三吉の「にんげんをかえせ」などを読み合い、作者の思いを分かち合った。

 私だって何か貢献できるかもしれない。若い世代をその気にさせる風は心強い。

 国連総会のデスコト議長もまた、核兵器を使った米国の「道義的責任」に触れたプラハ演説に刺激された一人だろう。

 自分と同じカトリック信者だったエノラ・ゲイの機長が原爆を投下したことを許してほしい。会場の被爆者ら約5万人に、そう許しを請うた。

 親米とはいえないニカラグア出身ということもあってか「この世で最大の残虐行為」という思い切った言葉まで口にした。深い謝罪に、被爆者や遺族は胸のわだかまりが、いくらかでも晴れたのではなかろうか。

 議長である前に、一人の人間としてぜひ言いたい。そんな迫力が演説を印象強いものにした。

 もちろん「オバマ頼み」で世界が一挙に変わるわけではない。核なき世界への宣言を、額面通りには受け止めきれない人々もいる。「被爆地に立って宣言してこそ本物」と、広島来訪を望む参列者の声もあった。

 仲間と手を取り合い、共に訴える「We can」は、底知れない力を秘める。しかしその始まりは、平和への強い願いを持つ一人一人の動きであるはずだ。まず「I can(私にはできる)」と言えることから見つけていきたい。


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