「私たち」という言葉の響きに引き込まれ、自分にできることをあらためて考えた人も多いのではあるまいか。きのう被爆65年の原爆の日を迎えた長崎市の平和宣言である。
不信と脅威に満ちた「核兵器のある世界」か。それとも、信頼と協力にもとづく「核兵器のない世界」か。
田上富久市長は世界に向かって問いかけた上でこう続けた。「選ぶのは私たちです」
「私たち」とは広島、長崎の被爆者をはじめ、世界の平和をこいねがう市民のことだろう。
核なき世界の扉を押し開くのはわれわれだとの決意表明に聞こえる。「手を取り合うことにより、政府を動かし、新しい歴史をつくる力になれる」。そんな一節とともに肝に銘じたい。
なぜ今年の宣言に、わざわざこうしたメッセージを盛り込んだのだろうか。
5月にニューヨークで開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核軍縮の期限を切る案は核保有国によって退けられたと指摘した。「核兵器のない世界」への努力を踏みにじる核保有国へのいらだちにほかならない。
大量破壊をもたらす生物兵器や化学兵器、非人道とされる対人地雷やクラスター爆弾。いずれも既に全面禁止条約が発効している。その一方、大量破壊と非人道の極みといえる核兵器の製造や保有は、いまだに全面禁止が実現していない。
「核兵器禁止条約を強く支持する」と宣言で明確に打ち出したのも、核保有国の責任逃れを許さぬ強い決意が見てとれる。
日本政府がNPT非加盟のインドと進める原子力協定についても宣言に特筆した。「被爆国自らNPT体制を空洞化させる」と厳しい視線を向けるのは当然だろう。
広島の平和宣言と比べると、力点の置き方に違いもうかがえる。
その一つがNPT再検討会議をめぐる評価だ。広島はむしろ全会一致で最終文書を採択した成果に光を当てた。だとしても「核なき世界」へのうねりを途切れさせてはならない、との決意に変わりはなかろう。
長崎の平和宣言は市長の下で、市民を交えた起草委員会による議論を積み重ね、文案を練り上げていく仕組みだ。
市民の立場でどう感じ、考え、行動するか。そうした主体性がより一層にじんだ宣言となっているのかもしれない。
菅直人首相がきのうの会見で、非核三原則の法制化について「私なりに検討したい」と、一歩踏み込んだ考えを示したことは前進と受け止めたい。しかし「核抑止力は必要」との考えに多くの被爆者は納得できまい。
田上市長が提唱した「北東アジア非核兵器地帯」構想こそ、目指すべき道であるはずだ。
二つの被爆地の「私たち」が果たすべき使命は何か。互いに学び合う中から、しっかりと歩みを進めていきたい。
|