中国新聞社
2011ヒロシマ
'11/7/17
【天風録】「表現」奪う被爆体験

LOVEやPEACEの文字が用紙いっぱいに広がる。十数組の被爆者や家族の戦後を紹介する原爆資料館の企画展「生きる」。広島出身のデザイナー、故片岡脩さんが連作した平和ポスターが、明るく前向きなイメージで来場者を迎える▲13歳だった片岡さん。爆心地から800メートルで閃光(せんこう)を浴び、皮膚がずるむけになった級友を抱えて逃げた。父は即死。高校生で書いた手記はこう結ぶ。「この文を私は二度と読み返す気にはなれないだろう。未完のまま…」▲語り尽くせぬ思いを絵筆で訴えるのは被爆40年たってからだ。「悲惨さは描ききれないが、生き残った者の務めとして」。穏やかな色調に交じり、「生」と大書したポスターも。これも、原爆はまっぴらだとの表現にほかなるまい▲企画展は著名な政治学者の故丸山真男さんも取り上げている。大学助教授だったが陸軍に駆り出され、被爆3日後に焦土を巡る。だが「被害を傍観した後ろめたさ」から、惨状を語ったのは四半世紀近くも後だった▲「自分だけ元気で帰ったのは申し訳ない」。広島城辺りで被爆し、今年亡くなった喜味こいしさんも口数は少なかった。肉親や友だけではない。人々の言葉や表現も奪う。そんな原爆の罪深さが、会場のパネルや遺品から静かに伝わる。

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