旧第一国民学校生が53年ぶり再会
'98/8/3
![]()
「僕を覚えとる?」「学徒動員はきつかったのう」。二日、広島 市南区段原山崎町の段原中学校であった旧制第一国民学校の原爆死 没者慰霊祭後の懇親会が五十三年ぶりの再会で沸き立った。在学中 に被爆した会社員高橋(旧姓井守)正登さん(66)が三重県伊勢市か ら駆け付けた。
「半世紀以上もたつと、今浦島ですね」。慰霊祭に続き、近くの 段原公民館に同窓生約八十人が集まった懇親会。白髪やしわが目立 つ同級生八人も参加したが、互いに名前が思い出せない。
隣に座った宮本政広さん(66)=南区皆実町=や会社役員橋本淳さ ん(66)=東区牛田新町四丁目=に「あのう、井守です」と恐る恐る 話しかける。
始めは首をかしげていた級友に記憶がよみがえった。「バケツを 頭に載せて立たされたもんよ」「あんたはクラスの人気者じゃっ た」…。高橋さんの顔がほころんだ。昔話に花が咲き、広島弁が飛 び交った。
南段原町(現段原南一丁目)の自宅前で被爆した。動員は休み で、近所の貸本屋から帰った時だった。爆風で自宅は倒壊し、九人 兄弟のうち七人が被爆した。
大工の棟りょうだった父正二さん手伝いを始め、学校に通う余裕 はなくなった。卒業も出来ず、後に定時制高校に通い大学の通信教 育で学んだ。
正二さんが亡くなった翌年の一九五二(昭和二十七)年、陸上自 衛隊に入り三重県で結婚。六年前から、被爆者団体「三友会」伊勢 支部の事務局長を務めている。六日の平和祈念式に三重県の遺族代 表として参列するため帰郷した。
原爆は、第一国民学校の教師一人と建物疎開作業中の生徒四十九 人の命を一瞬のうちに奪った。生き残った生徒たちの生活も一変さ せた。「核兵器は悪魔の兵器。あれば使う恐れがある。政治家が全 廃を決断しないとダメだ」。インドとパキスタンが強行した核実験 に話が及ぶと、穏やかな表情が厳しくなった。
【写真説明】旧制第一国民学校(現段原中学校)の級友と53年ぶりに再開し、談笑する高橋さん(中央)
![]()