中国新聞
戦死広島二中
「ヒロシマの記録−遺影は語る」から


 広島市中区の平和記念公園西側を流れる本川左岸に一つの歌碑が ある。「なぐさめの 言葉しらねば ただ泣かむ 汝(な)がおも かげと いさをしのびて」。少年たちは一九四五(昭和二十)年八 月六日、碑のある場所で被爆し、全滅した。広島県立広島第二中学 校(現・県立広島観音高校)の一年生たちである。少年たちに「戦 死」を強いた時代と、その軌跡を追う。
(西本雅実・野島正徳・藤村潤平)


CONTENTS
(4) 亡き父母への思い込め/継承の形見 99.11.22
(3) 「目的のため」命かける/学徒世代  99.11.21
(2) 亡き友悼む思い深く/昭和20年入学 99.11.20
(1) 米寿を迎え/悲しき自問自答、今なお99.11.19
 
冒頭の歌の作者は、原爆投下時に広島二中の校長だった故・古田 貞衛氏。

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