中国新聞社

2000・2・11

被曝と人間第2部臨界事故の土壌[2]        
技術評論家 桜井 淳

 

 

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さくらい・きよし 物理学者。日本原子力研究所と原子力発電技術機構で約12年間、炉心や原子力発電所の安全解析に携わった。1988年に退職し、原発などの安全に関する評論活動を続けている。「原発のどこが危険か」など著書多数。群馬県出身。53歳。

    「安全神話」をもたらしたもの

 

国策に技術者も妥協

 東海村臨界事故は、周辺住民を含め、四百三十九人もの被曝(ばく)者を生んだ。科学技術庁が集計し、事故から四カ月たった一月三十一日、原子力安全委員会に報告した。被ばくした住民のうち百十九人は、年間被ばく線量限度である一ミリシーベルトを上回る放射線を浴びた。

 「これほど多くの被ばく者を出すなど、まさに日本の原子力史上最悪の事態。これまで原子力関係者の意識は、世の中の動きと四半世紀のずれがあったが、大きな犠牲を払って、ようやく変わろうとしている」

 原子力安全委員会の事故調査委員会が昨年末まとめた最終報告書は、①「絶対安全」からリスク評価に基づく防災対策への意識転回②安全規制当局の陣容の強化充実―など、百三項目に及ぶ提言を盛り込んだ。

 ■劇的な認識の転回

 「原子力は絶対安全だという従来の『安全神話』を改め、『事故は起こり得る』としてリスク評価の必要性を説くなど、私たちが以前から主張してきたことと同じ。新しさはないが、それを原子力関係者が認めたことは天地がひっくり返るコペルニクス的転回だろう」

 「これを確実に実行すれば、原子力政策は変わるのではないか。問題はどれだけ本気かだ。原子力関係の責任者が全部辞め、これまでの拡大路線に終止符を打つべきだ。政治で言えば、政権交代。はっきりけじめをつけるべきだ」

 米国スリーマイル島や旧ソ連チェルノブイリなどで深刻な原発事故が相次いだ欧米では、事故が起きることを前提に対策が強化された。ところが、日本では「国内の原発は大丈夫」と強調され、「安全神話」への疑問は広がらなかった。技術者、評論家として原子力にかかわってきた桜井氏は、その背景をどうみているのか。

 ■責任感じない人も

 「エネルギー政策は国策であり、原子力は絶対安全だとして進められてきた。技術者や専門家がもし反対すれば、職を失うか窓際に追いやられるなど、しっぺ返しがあったから見て見ぬふりをしていた。その結果、事故を招いた。水俣病の時の技術者の対応と同じだ」

 「私自身も責任を感じている。本や論文を書き、講演をするなど国民の安全を守るために努めてきたつもりだが、努力が足らなかったのかもしれない。だけど、政策への影響力があるのに、責任の一端すら感じない人が何百人もいる」

 昨年十二月、スウェーデンは十二基ある原発のうち、現役の一基を閉鎖した。一九八〇年の国民投票で決めた原発全廃に向けた初めての閉鎖だった。

 ■「安全な終息」課題

 「日本では、安全面などで妥協しながら原子力施設を拡張し続けた結果、事故につながった。米国では、最近二十年間、原発新設はない。ドイツも脱原発政権が誕生するなど欧米は縮小に向かっている。日本も、今ある施設をいかに安全に管理していくかに考え方を変えないといけない」

 「核兵器がある限り、核文明に代わる新たな文明は生まれない。平和利用も軍事利用につながるので、あらゆる核技術を廃棄する必要がある。そのために努力することが、核兵器廃絶と放射能の怖さを訴えてきた広島と長崎の責務でもある。電力需要を賄いつつ、いかに原子力利用を安全に終息させていくのか、が二十一世紀の課題だ。東海村の臨界事故を経て、それがはっきり見えてきた」

なぜJCOはルール違反をしたか
コスト削減へ効率追求

 桜井氏は原子力発電所の安全問題に取り組み、全国の原子力施設の現場に詳しい。臨界事故を起こしたJCO東海事業所にも十年ほど前、視察に訪れたことがある、という。

 「目立たないけど、こつこつ努力する町工場のような印象だった。同業の他社に比べると、規模やシステムなどに雲泥の差があったが、原子力産業の平均レベルだと思う。それだけに問題は深刻だ」

 ■考え抜かれた方法

 「話題になったバケツの使用は原始的に見えるが、考え抜かれた方法とも言える。もし配管を付ければ、検査の時にすぐばれてしまう。バケツだと、必要な時だけ取り出して、後は知らん顔ができ、証拠を残さないで済むからだ」

 「民間会社は利益追求が目的。外部に分からなければ、効率を上げるためにルール違反のことでもやるかもしれないし、実際にJCOはやった。これ以上のことは駄目だと判断する技術力が欠けていて、事故になった。もし施設の効率が悪ければ、正規の手続きを踏んで新たな施設を造るべきだった」

 ■近年は生産減少

 JCOは、原発で使う核燃料製造のため、濃縮ウランを二酸化ウランに変える再転換を行っている。国内原発の年間使用量の約四割を造っていたが、近年は輸入燃料に押され、生産量が減っていた。原発燃料の輸入増加も事故とは無関係ではない、との指摘もある。

 「ウラン酸化物が米国など海外から日本に大量に入ってきて、JCOはコストダウンを迫られていた。日本の原子力産業にとっては、エネルギー効率のよい新たな火力発電に対抗するため、発電コストを下げることが最大の課題だった。そのために安いウランを輸入し、できるだけ費用を削ろうとしてきた。私の調べでは、年間約四百トンのウラン酸化物を今、米国から輸入している。日本の原発で使用する三~四割程度を占めている」

 「米国では、原発がピーク時よりも十基ほど減り、生産過剰となった年間約四百トンのウラン酸化物をどこかに押し付ける必要があった。それに、日本の電力会社が飛び付いた格好だ」

 国際競争にさらされたJCOは、現場の作業員を中心に人員を削減した。同社によると、事故を起こした東海事業所の社員数は一九九一年の百六十二人が九八年には百十人に減少。売上高も、九八年度は十七億二千万円とピーク時からほぼ半減した。

 ■作業に無理生じる

 「JCOにできることは一層のコストダウンだけだった。人員の大幅削減などで作業に無理が生じて、事故につながったことは間違いない。電力会社や通産省は経済性を最優先し、JCOの自滅を招く結果になった。国内の原子力産業の技術や施設を守り、人を育てていく長期的な視野がなかった。その責任は大きい」


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