中国新聞社

2000・7・6

被曝と人間 第6部 提言 臨界事故に学ぶ
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心のケア 専門家育成急げ

 「健康に影響なくても、放射線被害で受けた住民の精神的影響は 大きい。それを調べるのもわれわれの役割だ」。広島大原爆放射能 医学研究所(原医研、広島市南区)の早川式彦所長はこう強調す る。東海村臨界事故による付近住民たちの「心的外傷後ストレス障 害(PTSD)」を調査する予定で、準備を進めている。

 ■東海村80世帯調査

 原爆被爆者と接してきた広島大と長崎大の研究者が共同で、事故 があった核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)付近の約八 十世帯を選び、今秋から健康、精神状態などの郵便、面接調査をす る。放射線被害がもたらした「心の傷」に科学的に迫ろうとの試み だ。

 臨界事故を振り返るとき、わたしたちが放射線に対して持ってい る漠然とした恐怖があらためて浮かび上がった。被曝(ばく)とい う現実が住民に突き付けた不安は、想像以上だった。

 科学技術庁がまとめた被ばく者数は、亡くなったJCO社員二人 を含めて四百三十九人。そのうち、住民ら二百七人の被ばく線量は 二一~〇・〇一ミリシーベルトだった。半数は、一般人の年間被ばく 線量限度の一ミリシーベルト以下である。

 これらの数値は、リンパ球減少や吐き気などの急性症状が起きる 線量レベルよりはるかに少ない。国の原子力安全委員会が設けた健 康管理検討委員会(主査・長瀧重信放射線影響研究所理事長)も、 三月末にまとめた報告書で「健康にほぼ影響ない」と結論付けた。

 ■不信・不安渦巻く

 東海村へ取材に訪れた昨年十一月。事故から二カ月を経ても、国 やJCOへの不信と健康への不安が渦巻いていた。「あの夜から眠 つけない」「頭痛がした」。具体的な症状を口にする村民に「大丈 夫ですよ」と声を掛けた直後、後悔した。「これから絶対病気にな らないって言えるんですか」。気色ばむその住民に、返す言葉はな かった。

 もちろん、住民たちが訴えた症状は、被ばくが原因とは断言でき ない。だが、初めて遭遇した原子力災害で、避難や屋内退避を強い られた。目に見えない放射線が体を貫いたのは確かだ。そんな状況 下で起こった体調の変化が、浴びた放射線量の低さを理由に軽んぜ られた。被ばくした不安が不調を引き起こす、二次的な健康被害が 出る恐れはあるにもかかわらず…。

 ■研究の遅れ今なお

 いったん被ばく者が生じると、長期にわたって身体的な健康管理 が必要となる。一方で、心のケアはおざなりになりがちだ。放射線 の影響が今ほど分かっていなかった原爆投下直後の被爆地では、被 爆者の心のケアにまで調査、研究が及ぶことはなかった。原爆被爆 をめぐる心理面の研究は、今も立ち遅れた分野であり、被爆地がや り残した課題の一つと言える。

 原爆被爆と臨界事故を同列に扱うことはできない。だが、臨界事 故の直後、放射線の知識と被ばく者の心理に精通した専門家が、不 安におびえる住民にどれだけ接することができたのか。放射線被害 がもたらす精神的障害の調査研究と、心のケアに対処できる人材の 育成―。これは、被爆地だからできることではないだろうか。


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