2000年4月29日

今も劣化ウラン弾の貫通体を造るエアロジェット軍需テ ネシー社の工場(テネシー州ジョーンズボロー町) 今も劣化ウラン弾の貫通体を造るエアロジェット軍需テネシー社の工場(テネシー州ジョーンズボロー町)
6 無期限スト

劣悪な作業環境に憤り
 バイト・転職で生計




 東西に長いテネシー州のほぼ東北端。アパラチア山脈のふもとに あるジョーズボローは、人口四千人足らずの州内最古の町である。 その中心部から南西へ約五キロ。町はずれに、エアロジェット軍需 テネシー(AOT)社の工場が広がっていた。

面接で「危険なし」

 「劣化ウラン弾の貫通体を造っているのは、全米でマサチューセ ッツ州コンコードのスターメッツ社とここだけだ」。かつてテネシ ー核スペシャリティーズ社と呼ばれた工場近くに住む元従業員のマ イケル・エラムさん(45)は、仕事の手を休めて言った。

 自宅地下の作業場。彼は長く伸ばした口ひげをさすりながら話を 続けた。「AOTは戦車用の一二〇ミリ砲なども造るけど、主流は 空軍に納める三〇ミリ砲だ。湾岸戦争時にA―10飛行機から盛んに 使われたやつさ。中には自分たちが造ったのも入っていたかもね …。とにかく、ひどい作業環境だった」

 高校卒業後、繊維会社に勤めていたエラムさんは、結婚を機に 「少しでも給料のいい所を」と一九七九年に転職。応募の面接の際 に初めて造っている商品を知った。原料の劣化ウラン(U238) については「電子レンジを使っている時に、近くにいる程度のこと だ。何の危険もない」と教えられた。

  床に飛び散る溶液

 U238の金属物質が貫通体として完成するまでには、約一六〇 〇度の高熱で焼いたり、酸化溶液に浸したり、シリンダー状に延ば したりなど、いくつもの工程を経なければならない。その過程で小 さな爆発が起きたり、ウラン溶液が床に飛び散ったりする。ほこり が充満していても、集じん機さえ働いていなかった。

 「身に着けているのは、つなぎの綿の作業服に手袋、安全靴だ け。放射線防護なんてあったものじゃない」。エラムさんは苦々し そうに言った。

 ひどい環境は建物内だけでなかった。酸化ウランのスラッジ(汚 泥状の廃物)や汚染水は、敷地内に掘ったため池に捨てられた。

 池にたまった汚染水がいっぱいになると、工場のそばを流れる小 川に流した。野鳥やフェンスを越えて入ってきたネコなどの死がい が、よく池の縁に転がっていたという。

 当時、工場の生産現場で働いていた労働者は約百人。作業環境の 改善申し入れに応じない会社に対して労働組合は八一年五月、「健 康と安全」のために職場離脱の権利を認めた労働法を盾に、無期限 ストライキで立ち上った。

 会社は譲らず、その年の八月には他の労働者を雇い入れ、窓を遮 へいして生産を再開した。「この地域はめぼしい産業もないから、 職探しが大変なんだ。だから少々劣悪な環境でも仕事を求めて人が 集まるんだよ」

  闘争なお妥結せず

 副委員長だったエラムさんら組合員は、上部団体から一人週二十 五ドルの支援を得ながら闘いを続けた。が、それだけでは暮らして いけず、家や車を手放したり、さまざまなアルバイトをしたりして 食いつないだ。

 組合は連邦政府の労働委員会に調停を申し入れる一方で、翌年二 月には組合員の職場復帰を無条件に認めた。

 しかし、その時は既に職場はなく、復帰できた組合員はごく少数 にすぎなかった。エラムさんら組合リーダーは「ブラックリスト」 にのせられ、地域では職にありつけなかった。彼はやがて、家の修 理から工芸品までを手掛ける自営業の道を選んだ。

 「八〇年代は軍からいくらでも仕事があった時代。会社は労働者 の健康や福祉、地域の安全より、もうけを優先した。監視する立場 の原子力規制委員会も、何の規制もしなかったんだからあきれる よ」

 厳しい口調で当時を振り返るエラムさんらのAOTとの闘いは、 いまなお妥結をみていない。  


元AOT従業員のマイケル・エラムさん

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