一九五二年、米ソに次ぐ三カ国目の核保有国となった英国。「対ソ脅威」を名目にした核開発は、九一年のソ連消滅で理由を失った。冷戦終結に多くの人々が「核廃絶」への希望を見いだしたそのころ、英政府は核弾頭数を大幅に削減するなど核保有五カ国の中では核軍縮に積極的に取り組んだ。だが、欧州連合(EU)の加盟拡大などヨーロッパの融和が進む今、英国の核軍縮政策は影を潜め、核体制強化の道を歩もうとしている。なぜなのか。「広島世界平和ミッション」(広島国際文化財団主催)の第三陣メンバーとともに、英国の核の現況をみる。(文・田城明、森田裕美 写真・田中慎二)
人口約四十五万人の英中西部の工業都市マンチェスター。石造りの歴史を映す市議会棟ロビーに入ると、直径三十センチほどの赤い金属プレートが掲げられていた。
マンチェスター市議会が八〇年十一月に、英国の自治体として初めて市域を「非核兵器地帯」と決議した記念の文字が刻まれている。
「このサインは反核行動を推進する上でのわれわれの精神的支柱。野党だった労働党政権も同じ年の十月には『政権を取れば国内から核兵器を廃棄する』と決議していたのですよ。それが今では、核体制の維持、強化に力を注いでいる」
マンチェスター市議会の非核自治体運営委員会のスチュアート・ケンプ事務局長(50)は、無念そうに言った。九〇年にポストに就き、今では核問題の専門家として全英八十に広がった非核自治体のまとめ役として活躍する。
■NPTに逆行
ケンプさんによれば、九七年に政権に就いたブレア労働党政権は、今も「公式」には核拡散防止条約(NPT)に誠実にかかわり、核保有五カ国に課した第六条の核軍縮努力にも取り組んでいるとしている。
確かに九八年七月に英国防省が発表した「戦略防衛見直し」には、核保有国としての透明性を高めるために、初めて兵器用プルトニウムの保有量(七・六トン)や高濃縮ウランの備蓄量(二一・九トン)を明らかにした。核弾頭数も、六〇年代後半から七〇年代にかけてのピーク時の四百個余りから冷戦後を中心に漸減し、二百個以下に削減することを盛り込んだ。
現在、英国の核戦力はトライデント型ミサイル搭載の原子力潜水艦四隻である。政府の発表では、一隻につき四十八個の核弾頭を搭載。常時、一隻が海洋の潜航パトロールに就いている。
「透明性や核戦力という点では、NPTで保有が認められた五カ国の中では一番ましかもしれない。しかし、搭載した一個の核弾頭の威力は百キロトン。広島型の約七倍。それ一つを取っても、もっと大幅な核軍縮が求められる」
だが、ケンプさんらの願いとは裏腹にブレア政権は最近、NPTの精神に反した政策を一層際立たせているという。特に二〇〇一年の米中枢同時テロ以後、核拡散防止の力点が、ブッシュ米政権に引きずられるように攻撃的、先制的な不拡散対策に走って、自国の軍縮にはほおかぶりをしている、というのだ。
「大量破壊兵器の拡散防止を目的に参戦したイラク戦争が過ちを犯したいい例だ。NPTへの政府のアプローチは、完全にワシントンに牛耳られている」とケンプさんはみる。
核兵器開発での米英両国の協力関係は、米の原爆製造計画「マンハッタン・プロジェクト」に英国人科学者が参加するなど第二次世界大戦にさかのぼる。大戦後は二国間の相互防衛協定や北大西洋条約機構(NATO)によって、核開発システムや核配備、さらには巨大な情報基地に至るまで協力関係を保っている。
■税の無駄遣い
ブレア政権は来年六月末までに実施される総選挙後の新政権に、トライデントに代わる新しい核ミサイルシステム導入のオプションを与えているという。
計画では射程の長いトライデン型原潜から「多目的原潜」、すなわち地域紛争などにも使用可能な通常兵器と、核兵器搭載の巡航ミサイルをそれぞれ原潜に装備しようというのだ。原潜と核兵器は自前、ミサイルは米国製を購入する。英国の核開発の拠点、オールダーマストン核兵器研究・製造所では、すでに巨費を投じて設備を造り、準備を進めている。
「これは明らかにNPTへの違反行為。しかも核兵器使用の敷居を低める危険な計画だ。わが国は国連や国際社会での威信を保つために、膨大な税金の無駄遣いをしている」
ケンプさんらは国内の非核自治体や非政府組織(NGO)と協力して、核廃絶というNPTの本来の目的に立ち返るよう政府の核政策変更を迫っている。
■英政府の独自策を期待
英国にとって核保有は、ソ連に対する「核抑止力」という側面以上に、第二次世界大戦後の国際社会での「威信誇示」という意味合いが強かった。いわば大国としての「証し」である。
ところが、東西対立構造の解消後も、その威信保持だけが過去の遺物のように英国社会に残っているようにみえる。ブレア政権と同じ労働党議員の間でも、その事実を認める人は少なくない。安全保障にとって今、一番危険だと感じているテロ攻撃に対して「核兵器が抑止力になる」と考える者はほとんどいない。
核保有がどれほど高価につくかをまとめた一つのデータがある。半世紀近くにわたって地道に反核運動に取り組む市民団体「核軍縮キャンペーン」がまとめたものだ。
それによると、プルトニウムやトリチウムの製造、原子力潜水艦やミサイル関連、核弾頭の維持・解体、放射性廃棄物管理など人件費を除く核兵器プログラムだけで、毎年十五億ポンド(約三千百億円)の税金を投入しているという。
この血税を教育や福祉、遅れている鉄道網整備など社会資本の充実に充てるべきだとの声は強い。
国防省が今年五月にひそかに実施したトライデントに代わる新型核兵器システム導入に関する世論調査でも、賛否が二分した。英軍内部にも、限られた予算を「死に金」にするより、陸海空でもっと「使い得る」通常兵器に投資すべきだとの議論が起きている。
英国社会は今、民生利用も含めて、今後も核エネルギーに依存し続けるか、漸減の方向を取るか大きな岐路に差し掛かっている。
昨年二月に英政府が公表した長期エネルギー政策では、再生可能エネルギーの発電比率を二〇二〇年までに20%まで高めるとしている。一方、原子力は現在の約20%から5%に削減。原発の新規建設についても「オプションとして堅持する」と消極的である。二〇〇〇年以後すでに八基が閉鎖され、現在稼働しているのは二十七基である。
原発の経済効率への疑問に加え、使用済み核燃料の処理や放射性廃棄物による環境汚染問題が背景にある。セラフィールド再処理工場からアイリッシュ海へ排出される放射性廃液による深刻な汚染は、隣国アイルランドなどから「再処理工場の閉鎖」を求められいるのが実情だ。
一方、軍事面では米国の強い影響を受けながら、新たな核兵器システム導入に力を入れている。
四年前の英国取材で会った当時の労働党長老議員で閣僚経験者のトニー・ベン氏(81)の言葉を思い出す。「英国は独自の核政策を堅持しているように見えても、本当は米国のコントロール下にある」と。
英国民が自国の核軍縮を一層進めることができるかどうか。それは自覚した市民や政治家、自治体が政府にどれだけプレッシャーをかけることができるか、そして政府自らが米政府の圧力に抗して独自の核政策を取れるかどうかにかかっている(田城)
▼ 英国の核年表 ▼
1943年 ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相の間で「ケベック合意」が成立。核兵器開発で全面的協力を約束
46年 英政府、核兵器開発のために核分裂性物質の生産を決める
47年 アトリー首相が選んだ5人の大臣からなる最高機密委員会が、公式に原爆製造を決定
50年 オールダーマストン核兵器研究・製造所(AWE)が設立。核兵器の設計・製造などを有する核拠点施設
51年 ウィンズケール(現セラフィールド)再処理工場が稼働。翌年に初のプルトニウム抽出
52年 10月3日にオーストラリア西部のモンテ・ベロ島で初の原爆実験。3カ国目の核保有国に
53年 爆撃機に20キロトン核弾頭を初めて搭載
54年 英原子力公社を創設
55年 英の哲学者バートランド・ラッセル卿と米亡命のドイツ人物理学者アルバート・アインシュタイン博士が、核兵器廃絶と使用禁止を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表
56年 世界初の商業用原発コールダーホールが稼働。軍事目的にも使用
同 オーストラリアのマラリンガ砂漠で原爆実験を開始
57年 マクミラン英首相とアイゼンハワー米大統領が、相互防衛目的の核エネルギー使用協力に合意
同 中部太平洋のクリスマス島で初の水爆実験
同 軍事目的のウィンズケール1号原子炉で大火災。放射能汚染が広がり、ミルクなど廃棄
62年 英米が協力して米ネバダで地下核実験
63年 米英ソ3カ国が部分的核実験停止条約(PTBT)に調印
70年 核拡散防止条約(NPT)が発効
71年 英核燃料会社(BNFL)が設立。ウィンズケール再処理工場などの事業に当たる
80年 英労働党、政権に就けば「国内から核兵器を廃棄する」と一方的核廃絶を決議
同 アイルランド政府が英政府に、アイリッシュ海の放射能汚染に対しウィンズケール再処理工場の閉鎖を要求
84年 ウィンズケール核工場を「セラフィールド」と改名。環境汚染源の汚名をぬぐうため
89年 労働党が「米ソの軍縮交渉に加わり、多国間交渉で英国の核軍縮を進める」と路線転換
98年 英国防省が現在の国防政策の基本文書となる「戦略防衛見直し」を発表
同 英政府が包括的核実験禁止条約(CTBT)に批准
2002年 英米がネバダ核実験場で、初の共同臨界前核実験を実施
03年 米英両軍がイラク戦争を開始
《英国の核実験回数》
大気圏 地下 計
1952 1 1
53 2 2
56 6 6
57 7 7
58 5 5
62 2 2
64 2 2
65 1 1
74 1 1
76 1 1
78 2 2
79 1 1
80 3 3
81 1 1
82 1 1
83 1 1
84 2 2
85 1 1
86 1 1
87 1 1
89 1 1
90 1 1
91 1 1
21 24 45
出典 ストックホルム国際平和研究所「SIPRI年艦1995」など
【写真説明】上=英国北ヨークシャー地方ハロゲート近郊にある米軍通信基地「メンウィズ・ヒル」。核など軍事情報を傍受する世界最大の「盗聴基地」は、英米軍事協力の象徴的施設だ 下=「自国政府が核軍縮へのイニシアチブを取るよう自治体として最大の努力をしたい」と話すケンプさん
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