昨年十一月末、七カ月ぶりにイランを再訪した。自ら会長を務める市民団体「モーストの会」と、首都テヘランにある「イラン化学兵器被害者支援協会」との交流計画を詰めるのが主な目的だった。
四月の第一陣訪問を契機に、八月にはイラン・イラク戦争で傷ついた毒ガス被害者ら八人が広島市を訪れ、平和記念式典に参列した。十ニ月には南区の市留学生会館で、イランの子どもたちが描いた「平和の絵」約百点の展示会も開催した。
津谷さんの再訪にイランの関係者は「広島の人たちは言葉だけではなかった」と温かく迎えてくれた。平和式典のことがたびたび話題にのぼったという。「核廃絶や平和を願って世界から多くの人々が集う。その姿に感動し、自分たちの被害も伝えることができたからでしょう」
今回取り決めた計画では、今年六月に広島から市民訪問団を派遣。メンバーには、旧日本軍の毒ガス工場(竹原市大久野島)の被害者治療に当たった医師の参加も求める。八月にはイランから毒ガス被害者らが再び広島を訪れる予定だ。
毒ガス被害者は完治する見込みは薄い。「でも被爆者に会うと希望がわくと言っていた」と交流の意義を見いだす。「医療面での共同研究や文化交流を通じて相互理解と信頼を深めたい」と、息長いつながりを目指す。
【写真説明】テヘラン市内の病院で毒ガス被害者に折り鶴を手渡し、励ます津谷さん=左から2人目(2004年11月25日、津谷さん提供)
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