やみに沈んでいたバラ畑が輝き、甘い香りが立ち上る。ミツバチも羽音をたてて動き出す。
ブルガリア中部のシプカ村。野良着姿の女性たちは夜明けとともに畑に散っていった。並んだうねに香水用のバラ。花を摘み、前掛け型の布袋に入れていく。
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夜明けとともに、タルパノヴァさん(手前)はバラの摘み取りを始めた。バルカン山脈から朝日が差し込む(シプカ村)
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「この仕事は太陽と競争なのよ」。村の畑の責任者エレナ・カテトプラクサエヴァさん(53)は作業の手を止めようとしない。花摘みは早朝が勝負。昼間の日射は香油成分を飛ばし、品質を落としてしまうからだ。
昼前には近くの蒸留所へ花を運び込む。銅製の大がまでグラグラ煮ると、蒸留器の筒先から黄金色の油がポトリ、ポトリと落ちてきた。
ふくよかで濃厚な香り。かつて「金よりも価値がある」とされたローズオイルである。
「バラの谷」―。なだらかな山脈に挟まれた東西100キロ、南北10キロの地方を人々はそう呼ぶ。清涼でわき水豊富な谷とバラのかかわりは古い。
紀元前4世紀の王族はバラの装飾を施した金の首飾りとともに葬られた。18世紀には栽培が本格化し、産業革命にわく英国などへオイルを輸出した。王や貴族に代わり、資産家たち富裕層が金の装飾品とバラの香りを買い求めた。
品質検査のためネノフ所長(右)のもとに集まったローズオイル。畑によって香りは微妙に違う(国立バラ精油研究所)
摘み取った花は乾燥させないようポリ袋で運ぶ(シプカ村)
花びらからローズオイルを取り出す蒸留所。まきを燃やす古いかまも健在だ(カザンラク市近郊)
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社会主義政権下、ブルガリアは摘み取りに都会の女子生徒を総動員するなどして増産。隣国トルコと1、2位を争う産地となっていく。
バラは花びらが香る。
オイル採取用のダマスクバラは5月下旬から20日間ほど次々に花を咲かせる。ふつう、1ヘクタールの畑からトラック山盛りいっぱい、3・5トンの花がとれ、そこからやっと1キロのオイルが抽出できる。
大地の恵みがぎゅっと詰まる。
しかし、92年、ブルガリア国内のオイル生産量は、400キロと底を打った。いま、800キロまで回復したが、それでも社会主義時代のほぼ半分。「世の中の混乱が原因でね」と国立バラ精油研究所(ソフィア市)のニコラ・ネノフ所長は嘆く。
89年11月、「ベルリンの壁」崩壊直後、ここブルガリアでも市場経済への移行が始まった。オイル生産も国営から民営へ。だが、長く国有化されていたバラ畑の返還ははかどらず、いまだに持ち主不明で放置された畑も多い。
私たちが訪れた昨年6月はカラカラ天気が続き、不作が懸念されていた。しかし、シプカ村の5ヘクタールのバラ畑は手入れのかいあって前年比2割増、21トンの豊作だった。
摘み取りを終えた約100人の作業員が別れを惜しむ。かつての動員女子生徒に変わり、経済混乱の現在はほとんどが失業者。次ぎの仕事のあてはない。
先頭に立って働いたヨルダンカ・タルパノヴァさん(42)は元銀行員。カザンラク市内に中学と高校の2人の子どもを残し、泊まり込みで作業した。夫も失業中だ。
20日間の収入は銀行員時代の半分の180レバ(約9000円)。「でもこれで一息つける。会計士の仕事を探す気にもなれた。バラに感謝よ」と笑顔を見せた。
バラの国ブルガリアのローズオイルは世界最高の品質を誇る。だが輸出価格は現在、金の半分の1グラム当たり4ドル(約450円)と低迷が続く。ハーブ系の淡い香りがはやるなど、し好の多様化が原因らしい。
資本主義とともに世界に広まった黄金色の濃厚な香り。いま、爛熟した香料マーケットの荒波をかぶる。
■採取に適した谷の気候―ブルガリア
人口800万人余のブルガリア。バラ産業は5万人の雇用と総生産の2%を生み出しているとされる
栽培しているダマスクバラは西アジア原産。野生種を長年かけて改良した。花径7センチ前後で花が多い。15年ほどで植え替える。栽培面積は800ヘクタール程度。蒸留所は近代的な工場も含めて13カ所ある。オイルの半分は米国へ。次いでスイス、フランス、日本などへ輸出する。
バラの谷は、開花期に曇天が多く、香油の蒸発が少ないためオイル採取に適している。谷にはバラにちなんだ地名も多い。「シプカ村」は野バラ村の意味。「カザンラク」は花びらを煮る銅製のかまを指す。
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(左)ローズオイルと副産物のバラ水。農家が生産販売していた(カザンラク市)
(右)シプカ村の古墳から出土した紀元前4世紀のネックレス(部分)。バラの装飾がある(カザンラク歴史博物館) |
■福山とブルガリア 国境を超えた交流
バラの谷の中心都市カザンラク市は5年前から福山市と市民交流を続ける。福山ブルガリア協会(中村秀美会長、約200人)を仲立ちに、互いのばら祭りに参加し合うなどして親善が深まっている。
福山側は1996年からこれまでに4回の市民訪問団(延べ41人)を派遣。祭りの輪に加わるほか、バラ苗の寄贈や医療機器援助などを続ける。
カザンラク側は98年、当時の市長ら18人が福山ばら祭りに参加。以後毎年「バラの女王」を派遣している。昨年11月には、市民が福山市に2001本のバラ苗をプレゼントした。
両市の交流は、94年11月に福山市を訪れた当時の駐日ブルガリア大使が「ばらのまち」同士の姉妹縁組みを提案し、始まった。
カザンラク市のキリル・キリロフ副市長は「福山に親しみを感じる。友好関係を発展させたい」と積極的だ。市内の国立バラ研究所は福山市のバラ「ローズふくやま」を栽培中。今年から香水用のダマスクバラの一種「カザンリック」との交配を試みるという。
2001.1.7