(いずれもイングリッシュローズ)
タイトル小
2. 野の花 海を渡る
イングリッシュローズ
イングリッシュローズの最新品種
(英国バーミンガム近郊)
新世紀を期して今春発売予定のバラを、世界的に有名な英国バーミンガム近郊の育種場で見た。桃色からサーモンピンクに色変わりする花。愛好家たち待望のイングリッシュローズの最新品種だ。その誕生には、田植え時に咲く日本の野バラが貢献していた。
文・杉本喜信 写真・大村 博
愛された素朴な強さ
佐藤さんの棚田のわきに咲いたノイバラ(昨年6月、福山市山野町)

 田植えでかがめた腰を伸ばすと、甘い香りが鼻をかすめる。福山市北部、山野町の谷あい。棚田のあぜにノイバラが素朴に純白に咲く。

 このあたりの方言では「クイ」と呼ぶ。鋭いトゲは農作業のじゃまになるため、農家には嫌われもする。

 「よう見りゃ、きれいなのに。刈らにゃあいけんと思うばっかりじゃった」。45年間、ここでコメづくりを続ける佐藤孝子さん(68)は、麦わら帽子を取り、いとおしそうに見入った。

 学名を「ロサ・ムルチフローラ」。たくさんの花が咲くバラ、という意味だ。そんな日本原生種はかつて欧州に渡り、あでやかな現代バラの祖先になったという。

 嫌われ者の変身ぶりを確かめようと、私たちは山野町での撮影を済ませると欧州へ向かった。

幕末、長崎で採集されたノイバラの標本。右下に「Nagasaki」とある(英国王立キュー植物園)

 学名を付けたのは「植物学の父」リンネの弟子のツュンベリー。長崎・出島のオランダ商館医をしていた江戸時代半ばの1775年に採集した。だが、オランダや彼の古里スウェーデンで当時の標本は探し出せなかった。

 やっと見つけたのは、世界中の植物標本700万点を管理するロンドンの王立キュー植物園。「中国と日本のバラ」の棚にツュンベリーより100年ほど下るものの、1862年の標本が残っていた。

 植物園が日本に派遣したオルダムが採集した。標本に「Nagasaki」の文字が残る。有用な植物を探すため、欧州列強はアジアに「プラントハンター」と呼ばれる人たちを送り込んだ。オルダムもその一人だ。

 日本から欧州へ、アフリカ大陸をう回する約3万キロの船旅。はるばる100年余りの歳月も経た標本は、房状に咲く特徴はとどめていたが、花は茶色に変わっていた。稲わらとも潮の香りともつかぬにおいがした。

 標本はあった。でも、欧州で改良が進んだ現在の園芸品種のうち、一見してノイバラの子孫と分かるバラが少ないのはなぜか。その疑問はじきに解けた。

 「イングリッシュローズ」と呼ばれる人気シリーズの苗木を世界中に販売している英国バーミンガム近郊、オースチン社の育種場を訪ねた時のことだ。

 栽培部長のマイケル・マリオットさん(48)は、この3月に発表するピンクの新品種の畑に案内してくれた。「愛らしい、香りもいい。強くて育てやすい」。そんな長所は「日本のバラのおかげさ」。

 ノイバラにいろんな品種を掛け合わせた中輪咲きの系統を親に、多くのイングリッシュローズが生まれたという。さしずめノイバラは、おじいさん、おばあさん。その子孫は、色や形はさまざまだが、花数の多さ、丈夫さを受け継ぐ。

 世界の愛好家が新品種に関心を寄せる育種場。孫やひ孫のイングリッシュローズが華麗さを競うそばで、山野町のあぜ道で見たノイバラが咲いていた。素朴で丈夫そうな花姿だった。

■幹は台木に 実は漢方薬に

 ノイバラは北海道から九州に自生し、初夏に一度咲く。四季咲きの大輪バラなどと交配した結果、中輪の「フロリバンダ系」と呼ばれる一群が誕生。家庭用園芸バラの主流となった。丈夫な幹は接ぎ木の台木に、赤い実は下剤などの漢方薬にも使われる。兵庫県明石市で200万―500万年前とされる化石が見つかっている。

2001.1.14

BACK INDEX NEXT