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あの選手も忘れられぬ ファンの声から '10/3/9

 「カープの星」となった19人以外にも、球団史に残る歴代選手に、多くのファンが思いを寄せた。はがきや投票用紙で1万8千件を超えた応募には、熱い思いがつづられていた。

 ■50年代

 ▽草創期は全員がヒーロー

 廃虚となった街、広島に誕生したカープ。資金難から常に球団存続の危機と直面していたが、グラウンドには確かにヒーローがいた。「名選手ばかりで1人に決めるのは大変難しい。家族会議で決めた」と西区の42歳女性。「弱い当時を支えた選手は全員がヒーロー」と唱える声も少なくなかった。

 ▽全力だった「フィーバー」平山

 50年代。長谷川良平に票は集中したが、安佐南区の66歳男性は日系2世選手として活躍し、「フィーバー」とも呼ばれた平山智を推した。「ファイトのある、全力でプレーする選手であった」と懐かしんだ。

 ■60年代

 ▽興津は「西の長嶋茂雄」

 60年代では、西区の66歳男性が通算145本塁打した興津達雄を「西の長嶋茂雄」と回想。4番を384試合務めたスラッガーだった。呉市の59歳男性は「あのえげつないほどのシュート」と3年連続20勝した大石清の投球をたたえた。

 ■70年代

 70年代は票が最も分散し、7選手が千票以上の支持を得た最激戦区。「全員を選出したかった」という南区の74歳女性を筆頭に、多くの人が初優勝した75年10月15日の「後楽園の歓喜」を思い浮かべた。

 ▽初Vホプキンス弾に歓喜

 中区の78歳女性は「ホプキンスの3ランが忘れられない」と九回のダメ押し3ランをつづった。安佐北区の45歳男性は「小学生だった私は、きれいなアンダースローに衝撃を受けた」と、胴上げ投手となった金城基泰に魅せられた。

 ▽独特フォームの池谷

 ▽水谷 いぶし銀の輝き

 同年に18勝した池谷公二郎は、その独特の投法を子どもたちがまねた。女性からの人気も高く、「青春真っただ中。池谷の格好よさに球場に足を運んだ」と佐伯区の55歳女性。宮崎県出身で安佐北区の50歳男性は「いぶし銀のバッティングを見せた同郷の水谷が好きだった」と、78年に首位打者を獲得した水谷実雄を挙げた。

 ■80年代

 ▽日本一の立役者山根

 ▽正田は「最強の2番」

 3度のリーグ優勝を飾った80年代の黄金期で、多くの人が夢や感動を分かち合った。2試合連続サヨナラ本塁打などの劇的な一発が多かったミラクル男・長島清幸を、「チャンスに強かった。最高」と南区の36歳男性。日本シリーズで通算5勝を挙げた山根和夫には「3度の日本一の立役者」と西区の65歳男性が力説した。2年連続で首位打者を獲得した正田耕三には、廿日市市の30歳男性が「最強の2番打者」と強く推した。

 ■90・00年代

 ▽ここ一番の代打男西田

 ▽町田 レギュラーで見たかった

 90年と00年代は、ここ一番での代打男がいた。「西田真二の代打での元気さが好きだった」と南区の39歳男性。安佐南区の53歳女性はセ・リーグ記録の代打本塁打20本をマークした町田公二郎を「レギュラーとして使ってほしかった」。その才能が忘れられない様子だった。

 カープに在籍した選手は700人を超える。安芸区の76歳女性は「走馬灯のように次から次へと選手の顔が浮かんだ」。江田島市の34歳男性も「子どものころ、ラジオ中継で聞いた名前。当時は夢を膨らませた」。強い時も弱い時もいた時代のヒーローたち。カープの星は無数に輝いている。

 (選手名は敬称略)



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