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2002/08/05
日本サッカー次の1歩へ 協会最高顧問 長沼 健氏に聞く

 長年、日本サッカー協会会長や名誉会長としてサッカー界をけん引し、ワールドカップ(W杯)日韓大会では日本組織委員会副会長として成功に導いた長沼健さんが、第一線を退き、協会最高顧問に就いた。メキシコ五輪では監督として日本に銅メダルをもたらし、協会会長時代にはJリーグを軌道に乗せて、今日の隆盛につなげた。日本が急速に国際競争力を付けてきた背景や、より飛躍するための課題、古里広島の「サッカー王国」復活への処方せんなどを聞いた。(松本洋二)

 ▽W杯16強入り・・・ハングリー精神育つ

 ―メキシコ五輪で銅メダルを獲得したイレブンと今回の日本代表には、共通点がありますか。

 一番はハングリー精神だ。技術的には間違いなく現在の方がうまくなっている。当時はピュアアマチュア。それでも銅メダルを獲得できたのは、ハングリーな選手が多かったからだと思う。

 小城得達、桑原楽之(広大付)、宮本輝紀(山陽)、森孝慈(修道)、渡辺正(基町)、松本育夫と広島県出身や東洋工業(現マツダ)の選手が多かった。よくいえば広島には向上心、ハングリー精神がおう盛な人が多い。今回、広島出身は森島寛晃(C大阪)だけだったが外観とは違って、内側にはどの選手にもハングリー精神が宿っていた。

 ―今回はトルシエ監督が植え付けたのですか。

 その通り。代表監督に就任以来、彼は下の世代の日本代表も指導してきた。20歳以下の選手で戦った一九九九年の世界ユース選手権では、後に「黄金の世代」と呼ばれる小野伸二、稲本潤一、中田浩二、高原直泰らを率いて準優勝に導いた。見逃せないのはその時の彼の行動だ。

 選手たちを現地の児童養護施設に連れて行き、世の中には、自分たちの知らない不幸な人間がたくさんいる、ということを肌で知らさせた。

 サッカーでは「人間力が勝負を決める」というが、大事なのは想像力。走るのが速いとか、ボールをけるのがうまいだけでは、選手としては失格、というふうに啓もうしていった。

 ―16強入りできたのは、技術的な裏付けとともに精神面の強化にも成功したのですね。

五輪の日本の成績
年  度 開催都市 成  績 主力選手
1964年 東  京 準々決勝 杉山、川淵
1968年 メキシコ 銅メダル 釜本、渡辺正
1996年 アトランタ 1次敗退 前園、中田英
2000年 シドニー ベスト8 中村俊、宮本
W杯本大会の日本の成績
年  度 開催国 成  績 主力選手
1998年 フランス 1次敗退 中山、中田英
2002年 日本韓国 ベスト16 中田英、小野
※1次敗退は1次リーグ敗退

 よい例が食事。前回のW杯フランス大会まで、協会は日本代表の遠征に必ず選任のコックを帯同させ、食材も日本から持って行った。が、トルシエはそれを拒んだ。現地の物を食べなくてどうして現地で勝つんだ、と。

 そういえば、釜本邦茂などは、パサパサのご飯に鳥の骨だけのスープをぶっかけてかきこんでいた。それでいてメキシコ五輪では得点王になった。水が合わず腹を壊したらどうしよう、普段食べていない物を食べるのはどうかといった心配は、余計なことだった。

 ▽飛躍への課題・・・Jリーグの充実急務

 ―日本サッカー協会は川淵三郎新会長の下で、ジーコ氏を監督に迎え、W杯ドイツ大会へ向け始動しました。

 僕の会長時代は二〇〇二年W杯へ向けてレールを敷くのが仕事だった。Jリーグを軌道に乗せ、W杯の招致が決まり、Jビレッジもできた。次の岡野さんは日韓W杯をやり遂げた。川淵さんはその上に花を咲かせなきゃならないから大変だ。

 川淵さんはアテネ五輪で結果を出し、ドイツにつなぐことを考えていると思う。そうじゃないと先代をしのいだといえない。先代をしのがないと、その競技は発展しない。

 ―そのためには。

 Jリーグの充実だろう。来年にはアテネの予選が始まるし、再来年は本番。翌年にはもうW杯ドイツ大会のアジア予選。3位以上が目標のアテネのメンバーはJリーグの若手が中心。優秀な選手が次々に海外に行き、Jリーグを憂う人もいるが、選手たちは好機と目の色を変えている。

 ―ドイツ大会ではベスト8入りも可能ですか。

 Jリーグで若手が伸び、今回のW杯メンバーが海外で経験を積めば、戦力は上がるが、そう甘くはない。次もベスト16に入ればよし、と考えるべきだ。今回はホームでのW杯だったが、次はアウエー。もう一度16強入りしてほしい。

 ―日本が急速に強くなったのはなぜでしょう。

 国際サッカー連盟のアベランジェ前会長に感謝している。U―23(二十三歳以下)の五輪をはじめ、U―20(二十歳以下)、U―17(十七歳以下)といったワールドユース世界選手権などの大会を創設したからだ。サッカー先進大陸ではない日本には、この経験は大きかった。

 ―今後のサッカー界に何を託しますか。

 今回あらためて思ったのは、日韓の新しい関係だ。サポーターが非常に仲が良かったのには感動した。空港へ相手チームを迎えに行くなど、世界中どこを探してもない。

 今後は日本と韓国を中心に新設された東アジア連盟で、切磋琢磨(せっさたくま)してほしい。途絶えていた日韓定期戦は、これから最高のカードになるだろう。東アジアが頑張れば、西アジアも頑張る。アフリカと南米、欧州の力の差がなくなってきているので、アフリカに近づくことが強化の近道だと思う。

 ▽古里広島の強化・・・地元から選手発掘を

 ―広島はどうすれば、サッカー先進県の静岡、埼玉に追いつけるのですか。

 いかに地元の優秀な選手を見いだすかだ。現在は指導者の目が問われる時代。現に富山から柳沢、愛媛から福西と、強豪とはいえなかった地方からも日本代表が出てきた。広島にも01年の世界ユースで活躍した森崎兄弟や駒野がいる。これは協会のトレセンシステムで研修を受けた指導者が、北海道から九州まで「統一された意思」で選手たちを教えているからだ。

 長いレンジでみれば、僕らのころは、神戸一中が断然強かった。その後、浦和時代があって、広島三強と呼ばれ、広島が非常に強い時代もあった。今それが静岡に行っている。

 ―サンフレッチェ広島は観客動員が少ないですが。

 ジュビロ磐田や鹿島アントラーズが成績、人気ともに高いが、それは分かる。例えば磐田は簡単に試合を投げたりしないし、ラインを割りそうなボールをとことん追いかけて拾うなど、常に勝負の原点を追っている。

 その辺が広島はもう一つ淡泊。テレビと違い、スタジアムでは全選手の動きが見える。選手たちがひたむきさを感じさせれば、次の試合もお客さんは来るし、逆なら来ない。来ないだけでなく、「見に行ってもつまらないよ」と言いふらすから、悪循環になる。

 ―ファンは必死のプレーに感動するのですね。

 川淵さんはチェアマンを去るにあたり、ひたむきさを求めるビデオを作って各チームに渡した。お客さんが求めているのは人間業とは思えないプレーや技術ではない。最後の最後まであきらめず一生懸命やる姿勢だ。

 今回のW杯でも鈴木がベルギーから取った1点目なんか、理論的には取れない。間に合うはずがないのに、足がびゅーっと伸びて入ってしまうのは、気持ちが入っているからだろう。トルコ戦のロナウドのトゥキックも同じ。広島も全選手がそういうプレーを心掛ければ自然と観客は増える。

 ―気持ち次第でチームは大きく変わると。

 今回のW杯で、「志」の意味が分かった。イレブンつまり「十一」人の「心」。日本が予選リーグを突破できたのは、選手全員の心が一つになっていたからだ。この言葉を広島のサッカー関係者に贈りたい。

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ながぬま・けん 1930年、広島市中区生まれ。広島高師付中、関学大、中大を経て古河電工(現市原)でFWとして活躍。56年メルボルン五輪代表。61年には古河の選手兼監督として史上初の3冠(全日本、実業団、都市対抗)を達成した。62年に32歳で日本代表監督に就任し、東京、メキシコ五輪を指揮。94―98年、日本サッカー協会会長。現在は同協会最高顧問、日本フットサル連盟会長。

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