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2002/08/26
美術館 冬の時代に挑む 大原美術館館長 高階秀爾氏に聞く

カギは地域・参加・連携  

 入館者の減少や経営難で、美術館は冬の時代を迎えている。地方の美術館も例外ではない。西洋美術館の草分けとして知られる大原美術館(倉敷市)はこの四月、前国立西洋美術館館長で美術史研究の第一人者である高階秀爾・東京大名誉教授(70)を館長に迎え、再生に向けた模索を始めている。地方美術館が生き残る道はあるのか、高階館長に聞いた。 (編集委員・山内雅弥)  

  現状 作品充実 ファン増える

 ―大原美術館の特色をどうみますか。

 考えていた以上に、内容が豊富な美術館だと思う。埋もれた宝がいろいろある。お客さんも観光客や美術の専門家、子どもからお年寄り、地方や外国の方まで幅広い。

 単に古いだけでなく、歴史とともに成長してきている点も特色だ。今も核になっている西洋近代美術のコレクションに、日本の近代美術や内外の現代美術の新しい作品が、どんどん加わっている。

 世界一級の優れた作品がそろっていて、国際的にも知名度が高い。地方にあって、「倉敷」という地名と「大原」が結びついて、外国に知られるようになったといえる。

 ―倉敷を抜きに、大原美術館は語れないということですか。

 倉敷の町そのものが歴史的な文化の遺産。民芸館や有隣荘(大原家の別邸)が並ぶ古い美観地区の中心をなす美術館は、歴史の流れと現代、日本と西洋を一つに合わせる重要な意味がある。

 これからは、地方の持っている遺産をどう生かすかが、文化の面でも問われる。江戸時代、各藩の作った特産物が、今も伝統工芸として続いている。倉敷の民芸も、美術館の果たした役割は大きい。町も美術館も、新しい文化発信の基地となる底力を持っている。

 ―ただ、長引く不況のあおりで、入館者数は減っていますね。

 昨年の入館者は四十万人。瀬戸大橋が開通した一九八八年の百二十五万人を別にしても、右肩下がりの傾向にあることは確かだが、悲観していない。地方美術館の多くが地道な活動を続けながら、それなりの文化を支えようと頑張っている。

 観光客全体の落ち込みで、観光のついでに訪れる層は減っているが、美術好きの人はむしろ増えている。愛好者を育てていくことがカギになる。

  新機軸 「つながり」生む催し模索

大原美術館が初めて開いた「チルドレンズ・アート・ミュージアム」。子どもたちはロダンの彫刻「歩く人」の前で、ゲームを楽しんだ(24日)

 ―就任以来、次々に打ち出した新機軸が目を引きます。

 二十四、二十五の両日、「チルドレンズ・アート・ミュージアム」を開いた。子どもたちが一緒に作ったり、彫刻に合わせて踊ったり…。私は「ディズニーランド美術館」と呼んでいるが、美術は単に絵を見るだけでなく、いろんな方向性があることを伝えるために、今後も続けるつもりだ。

 現代作家の活動の場にもしたい。十月には有隣荘を主題にした作品を、新進気鋭の画家福田美蘭さんに制作してもらって、インスタレーション(空間を生かした展示)をする。法政大教授で、江戸文学が専門の田中優子さんにも来ていただき、歴史であり現代であり、文化であり美術であるような自由な形のシンポジウムを開く。音楽や演劇など他ジャンルとの連携や、国際的な文化フォーラムも考えている。

 ―作品を鑑賞する場というスタイルからの脱皮を目指すのですか。

 作品をお見せするのが基本だが、これからの美術館の方向として、さまざまな催し物を通じて観客とのつながりを保つことが求められているのではないか。「自分も何か一緒にやりたい」といった観客の声に応える参加型の方向を探る。こちらから学校などへ出掛ける「出前レクチャー」など、地域とのいろんなつながりを探ろうと思う。

 ―他の美術館との連携にも積極的ですね。

 所蔵作品を貸してほしいという要望は前からあったが、まとまった形では取り組んでいなかった。この夏、青木繁や岸田劉生の作品など六十点余りを、奈良県立美術館に貸し出したのを手始めに、年一回程度は主な作品を地方にお貸しし、より多くの人たちに優れた作品を知っていただく。それで空いたスペースを使って、特別展を開いたり、多角的に活用できるメリットも大きい。

  理念 忘れまい文化継承の志

 ―地方に美術館が多すぎませんか。

 美術館が増えること自体は結構だと思う。「ハコもの行政」という批判もあるが、悪いのはハコものではなく、中身がないこと。パリやニューヨークに比べれば、東京でも美術館が少なすぎる。

 ―とはいえ、どこも運営に四苦八苦です。

 公立の場合、財政難で運営費やスタッフを減らされたり、購入費が足りないことが大きな問題。美術や文化は必要なものというコンセンサスを、地域で高めていきたい。「美術館に行ってよかった」という認識が広がれば、税金を出す側も必要性が分かると思う。

 「貧すれば鈍する」でいいのかどうか。要はお金の使い方だろう。文化の優先順位を上げるべきだ。

 ―名古屋ボストン美術館が開館し、広島でもエルミタージュの分館構想があります。こうした動きをどう見ますか。

 広島のことは知らないが、まず中心となるコレクションを持ち、国際的にも国内的にも主体的に活動していくのが、美術館本来の姿。お金で借りてくるのも一つのやり方かもしれないが、文化的な蓄積にはならない。

 国際交流は当然として、古典的な作品を持っている外国美術館の分館を、日本が造るというのは、どうも分からない。外国の美術館の資金集めではないかという気もする。

 ―地域の連携が求められていますね。

 倉敷は岡山や福山、尾道とも近いし、瀬戸内海のつながりで、四国も含めたツアーを組んだり、共同でイベントもできる。できる範囲で地域の連携プレーを広げていくことが大事だ。

 美術作品は地域のみならず、人類全体の貴重な遺産。採算性も大事だが、人類の遺産を次代につなげ、それを通して地域の人々との文化交流を活発にしていくという基本の志を、忘れてはいけない。


視角 
 生き残りへ方向性示唆

 小学生のころ、初めて西洋美術と出合ったのが、大原美術館だった。ロダンの彫刻、グレコやゴーギャンなどの名作の数々…。本物を目の当たりにした時の驚きは、今も床の響きと一緒に、鮮やかによみがえってくる。

 四半世紀を隔てた再訪で強く感じたのは、倉敷の町に根付く大原美術館の存在感である。同館を代表する印象派の作品群も一九二〇年代、岡山県成羽町出身の画家児島虎次郎が、親交のあった事業家大原孫三郎の意を体して欧州各地に探し求め、倉敷にもたらした。コレクションを貫く東洋と西洋の目線は、倉敷という風土によって鍛えられたのではあるまいか。

 作品を見せるだけの「倉庫」から、観客も参加する「多角的空間」へ―。古希を過ぎた大原美術館は今、大胆な試みを始めている。コレクションを大事にしながら、子どもたちをはじめ、観客が自由に楽しめるさまざまな活動である。美術館の可能性を広げるだけでなく、敷居を低くする効果も期待できる。ジャンルの枠を超えたイベントや、他美術館との連携にも意欲を見せる。

 苦しい運営を強いられている地方美術館は多い。「地域」「参加」「連携」を掲げる大原の挑戦は、一つの方向を示している。高階館長が強調するように、美術館の生命であるコレクションをどう生かすか。できることは、たくさんあるはずだ。(山内)       

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「殺伐とした時代だからこそ、優れた芸術に触れることで、人生を豊かにできる」と語る高階館長
たかしな・しゅうじ 1932年東京都生まれ。東京大教養学部卒。同大学院在学中に渡仏。国立西洋美術館主任研究官、東京大文学部助教授、同教授などを経て、92年から2000年まで国立西洋美術館館長。02年4月から現職。国の文化審議会会長も務める。著書に「名画を見る眼」など。

西洋中心 初の私立美術館

《大原美術館》 倉敷紡績(現クラボウ)の社長だった大原孫三郎(1880―1943年)が1930年、倉敷市中央1丁目に設立した日本最初の西洋美術中心の私立美術館。開館当時の姿の本館や分館、工芸館・東洋館などがある。大原の友人で画家の児島虎次郎(1881―1929年)が、ヨーロッパで収集したエル・グレコの「受胎告知」、モネの「睡蓮(すいれん)」など西洋近代の絵画を基に、中国・エジプト美術、日本近代の作品や現代美術などのコレクションは、約3000点に及ぶ。今年5月、入館者数が延べ3000万人を突破した。


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