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2003/2/11
人生の応援歌 高らか4000曲  作詞50年 星野哲郎さん

 「ぼろは着てても こころの錦 どんな花より きれいだぜ」「しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね」…。日本人の心に染み込む名曲を数々、送り出してきた山口県東和町出身の作詞家、星野哲郎さん(77)。今年、作詞生活満五十年を迎えた。四千曲を超す歌は義理人情や友情、人生の哀感をつづり、「人生の応援歌」「星野演歌」と言われる。「休む間もなかった」と振り返りながら「ヒット曲を一曲でも多く残したい」とも。衰えない創作への思いを熱く語った。(守田靖)

 歌手との出会いに恵まれた

出だしの2行 全精力傾ける

  大病

 あっという間でしたね。病気を何度もして、死ぬか生きるか分からん時期がありましたから。とにかく、今日を生きるのが精いっぱい。「今日の山を全力で登る」。そう自分に言い聞かせてきました。

 二十四歳で腎臓結核になり、その後、いい大人がずっと寝たきり。手間ばかりで、おふくろがかわいそうだと思いましてね。頭と手は使えたので、詩や歌詞を募る雑誌に投稿し始めました。

  先輩

 デビュー曲の「チャイナの波止場」は、(大竹市出身の作詞家)石本美由起先生が、僕の詩を認めてレコードにしてくれた。石本先生は「憧(あこが)れのハワイ航路」「港町十三番地」など歌が明るかった。僕は暗い歌ばかり。でも「同じような歌でなくていい」って。

<星野哲郎作詞の主なヒット曲>
発表年 歌手
1958(昭和33)
1959(昭和34)
1963(昭和38)
1964(昭和39)
1965(昭和40)
1966(昭和41)
1968(昭和43)
1970(昭和45)
1975(昭和50)
1980(昭和55)
1982(昭和57)
1983(昭和58)
1987(昭和62)

1991(平成 3)
思い出さん今日は
黄色いさくらんぼ
柔道一代
アンコ椿は恋の花
函館の女
いっぽんどっこの唄
三百六十五歩のマーチ
男はつらいよ
昔の名前で出ています
風雪ながれ旅
兄弟船
女の港
雪椿
みだれ髪
北の大地
島倉千代子
スリー・キャッツ
村田英雄
都はるみ
北島三郎
水前寺清子
水前寺清子
渥美清
小林旭
北島三郎
鳥羽一郎
大月みやこ
小林幸子
美空ひばり
北島三郎

 「人まねせず、自分独特の色を出すこと。大衆音楽の世界で生きるには、それしかない」と。それで、他の人が使った言葉は絶対使わないと心に決め、変わった歌ばかり書いた。「夜がわらっている」とか「黄色いさくらんぼ」とかね。

  多作

 一九六三年の日本クラウンの創立に参加し、所属歌手の歌はほとんど書いた。一番多い年で年間に百五十八曲。二日に一曲。タイトルを考えるだけでも大変でした。

 ネタは、新宿の雑踏で拾った。両方のポケットにメモ帳を入れて行くんです。家に帰ると、寝る前に詞を一つか二つ書いて寝る。それを嫁さん(故・朱實さん)が清書してくれる。他の人の字で書いた詞だと欠点が見えやすい。それを直す。その繰り返しでした。

  アンコ椿

 スランプになると、昭ちゃん(作曲家市川昭介さん)や船村徹先生(同)なんかが、いい人をヒョコッと連れて来る。さぶちゃん(北島三郎)やチーター(水前寺清子)なんかがそう。すると、どうしようもなく詞を書きたくなる。その歌い手に、自然と書かされちゃうんだよな。

 都はるみは昭ちゃんが連れて来た。「書かなくていいよ。歌を聞くだけで」。そう言われると、人生の捨て難い出会いなんて思い、書きました。で、書いたんだから使えよと。それが「アンコ椿(つばき)は恋の花」でした。

  義理人情

 歌はアイデアと体力です。時間を掛けて直せば歌はよくなる。「昔の名前で出ています」なんて八、九回書き直してる。演歌は出だしの二行が勝負。「これはいい歌だ」と思わせないと、それ以上聞いてくれないから。二行に全精力を使った。移ろいやすい世の中だけど、義理人情は変わらないと信じてる。そこをどう書くか。大事なのは愛で、すべての中心にないといけません。

 今も一日一本書いてます。昔は、世界一周していた高等商船(現東京商船大)時代の級友がうらやましかったけど、彼らはもうリタイア。作詞家という職は天職と考えて、体に気をつけ書き続けます。夜明けまで飲んだ時もあったけど、今は午前三時半に起きますから健康です。

  古里

 大島には昨年も七、八回帰った。年に一回は、小、中学時代の同級生とホテル「大観荘」で飲むんです。でも、いい仕事をしてないと、古里って帰れないもんですよ。今は帰りたくない。ヒット曲がないから。「今、どんな歌がヒットしているか」なんて聞かれるから。ヒット曲を出したい。何曲出してもその上が欲しい。永遠に達成できない夢なんですけど。


▽僕の人生の支え
「ともに演歌で泣き笑いしてきた仲間」と盛り上がる、左から星野さん、北島さん、山本さん(東京都内)

 星野さんと四十年以上付き合いのある演歌歌手・北島三郎さんの話  星野先生とは、互いに「哲っつぁま」「さぶちゃん」で遠慮がない。出会ったのは、北島三郎って芸名を名乗る前のことで、哲っつぁまに「なみだ船」を書いてもらって世に出た。

 あのころは、水前寺清子さんも畠山みどりさんも、みんな星野哲郎。伸び悩んでいた歌手が、哲っつぁまの歌で上げ潮、勢いに乗った。しかも、みんな大漁。すごかったね。

 僕は漁師の息子に生まれ、哲っつぁまも船に乗っていたんで、どっか通じ合う。本当の兄弟みたい。歌を頼むとね、「あっ、分かった」ってすぐ書いてくれる。素晴らしい先生であるとともに心優しい人。僕の人生の支えだね。

▽新曲で恩返しを

 下関市出身の演歌歌手・山本譲二さんの話  星野先生と「おやじ」(北島三郎)のそばで、「兄弟仁義」が生まれた裏話などを聞いて勉強しています。先生には一九八六年に「長州の男」を書いていただいたけど、ものにできず、すいません。今月発売の僕のデビュー三十周年記念曲「生きる」は星野先生がおやじに書いた曲をいただいたもの。ヒットさせ、恩返しをしたい。

「これからもヒット曲にこだわり続けます」と意欲を語る星野さん(東京都小金井市の事務所)
ほしの・てつろう 1925年、山口県森野村和佐(現東和町)で生まれる。高等商船学校卒。日魯漁業下関支社に入社し、操機手として主に東シナ海で操業した。腎臓結核で退社。53年にプロデビュー。57年上京し、本格的な作詞活動に入る。現在、日本作詩家協会長、日本音楽著作権協会長。紫綬褒章、勲三等瑞宝章を受章。東京都小金井市在住。

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