心に寄り添い 光る日々
痴呆(ちほう)になったら、本人も家族も、悲惨な運命をたどるしかないのだろうか。病院や老人保健施設で長年、痴呆ケアに携わってきた精神科医の小澤勲さん(65)は、痴呆を病む人の心の世界を、近著「痴呆を生きるということ」(岩波新書)に描いた。病む人に寄り添うケアを問うた。
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(編集委員・山内雅弥)
■周辺症状は治るという確信がある 不自由さの把握が大切
―世間では、「痴呆になると、何もかも分からなくなる」という受け止め方が一般的です。
病む人たちの心の世界は、私たちの世界と地続きであり、そんなに違わない。ただ、彼らの暮らしにくさは、想像以上だということだ。
物忘れしやすいとか、時間が分からないというだけではない。一つ一つの機能も衰えていくけれども、それをうまく統合していく力が衰えていく。一人ひとりが抱えている不自由をきちんと知るのと同時に、彼らの心に寄り添うことが求められているのだと思う。
―具体的には、どんな不自由ですか。
同時に、いろんなことができなくなることがある。もう一つは、時系列の中での作業が難しくなることだ。料理を例に挙げると、下ごしらえからいためたり、煮たり、味付けなど、かなり複雑な作業と目配りが必要とされる。痴呆を病んでいても、一つ一つの行動は割とできるが、失敗して作業が計画から外れた時など、全体を眺めて元に戻すことが極めて難しくなる。
―痴呆は治りますか。
症状には、記憶障害や見当識障害(いつ・どこ・誰が分からない)、判断の障害など誰にでも見られる中核症状と、幻覚妄想や不安、焦燥、不眠、はいかいのように、誰にでも見られるとは限らない周辺症状がある。生活の中で使わない機能が低下してしまう「廃用症候群」をできるだけ少なくすれば、中核症状のある部分は改善する。しかし、それだけで進行がすべて止まるとは思わない。痴呆は進んでも、各段階で生き生きと暮らせるように、理にかなった支援の方法を考えるべきだろう。
―介護の場面で深刻な問題になるのは、周辺症状の方ですね。
これまでの経験から、周辺症状は治るという確信がある。周辺症状は、痴呆を病む人が痴呆と戦っている証しであり、エネルギーの表現でもある。人は誰しも、「自分がやりたいこと」と「現実にやれること」の間のズレを抱えて生きている。夢を持っているといってもいい。それをつぶしてしまえば、周辺症状はなくなるかもしれないが、生き生きとした暮らしもできなくなる。
今までのケアのまずさは、その間に薬をどっと出して、結果的に進行させてしまっていることにあった。ズレを抱えながらでも、ズレの部分を少しずつ埋めるお手伝い、つなぎ役をすることで、周辺症状をなくせる。少し専門的なケアが入ったり、家族がそれを分かってケアするだけでも、ずいぶん違う。
■自分たちだけで背負い込まないで 社会全体で流れづくり
―症状が落ち着くまでにどのくらい時間がかかりますか。
私がいた施設では、入所してから周辺症状が落ち着くまで、大体三週間とみていた。最も難渋した、若いアルツハイマー病の方は、鏡を見て「誰かがいる」と言って物を投げたり、大声を上げたりしたが、それでも激しい症状が治るまでの期間は六カ月程度だった。
現場にいると、困り果てる症状や行動がエンドレスに続くと思いがちだが、ケアが届けば、近い将来、必ずよくなる。その確信があれば、寄り添うケアができるはずだ。残念ながら痴呆が進行して、いろんなことができなくなり、言葉も少なくなる時期が来ることがある。ケアに困ったころの思い出が、むしろ痴呆の深まったその人との深いつながりとして残る。
―ケアに難渋した時、家族はどうすれば。
自分たちだけで背負い込まないで、デイケアやショートステイも利用した方がよいと思う。周囲の方もそのように勧めてあげてほしい。まだ、社会資源を利用するということに戸惑いのある人が多いからだ。
―小澤さんは昨年、肺がんの全身転移を告知されました。
がんになって、一番うれしかったのはいろんな人の人情。病になったおかげで、いい出会いがあった。痴呆の人も、痴呆を病むというマイナスを抱えながら、別の豊かな世界を確保できるはずだという確信が深まった。
自分にいつまでも固執していると、死というものを乗り越えられない。生命の大河の中に置かれている自分がいる。そういう流れの中に、私たちが痴呆の人を巻き込むことができれば、彼らは光るし、できなければよどみに取り残される。一人ひとりのケアを越えて、社会全体がそうした流れをつくることが問われているのだと思う。
「生老病死」…誤解や偏見なくそう
「人から突然聞かれたりして指示されると、まとまりがつきかねる。今か今かと、せかされると困る。やっぱり駄目になってしまったなあと、悲しくなる」―。痴呆を病む八十一歳の男性が、こう語るのを聞いたことがある。
痴呆のお年寄りは全国で百数十万人。八十五歳を超えると、四、五人に一人が痴呆を抱えているといわれる。まさに「高齢社会の国民病」ともいえる病気なのに、それを病む人がどんな思いでいるのか、ほとんど明らかにされることはなかった。
二十年以上にわたって、現場に身を置いてきた小澤さんの痴呆ケアを貫いているのは、病を病としてみる科学の「目」と、病む人に共感する「心」である。三原市の老人保健施設の施設長だった三年前、自らもマイクを握り、お年寄りと一緒に熱唱していた小澤さんの姿が、今も鮮やかに目に浮かぶ。
一九七二年に有吉佐和子の小説「恍惚(こうこつ)の人」が発表されてベストセラーとなり、社会問題としての痴呆老人がクローズアップされるきっかけをつくった。その一方、痴呆に対する恐怖を、人々の間に定着させる結果になったことも否定できない。
生老病死という生命の流れ。痴呆もその中の自然な過程の一つとして、周りの人たちや地域、社会全体が受け入れることができれば、痴呆という難病を抱えても生き生きと暮らせると、小澤さんはいう。誤解や偏見をなくすことは、その第一歩になるはずだ。
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