バイロイト音楽祭で05年夏指揮
広島市出身の指揮者、大植英次さん(46)が二〇〇五年夏、バイロイト音楽祭という世界トップクラスのひのき舞台に立つ。演目は、リヒャルト・ワーグナーの代表作の一つ「トリスタンとイゾルデ」。しかも、百年を超える音楽祭の歴史で初の東洋人指揮者という大抜てきだ。来年には六年ぶりの古里公演も決まり、世界をエネルギッシュに駆け回る「エイジ・エクスプレス(英次特急)」は、さらに加速している。演奏会のため一時帰国した大植さんに、大阪市で音楽にかける情熱とバイロイトへの思いを聞いた。
(生活文化グループ・岡部哲博)
研究重ね期待に応える
―バイロイトの依頼は突然だったようですね。
音楽祭総監督のウォルフガング・ワーグナーさんが、今年一月にドイツのハノーバーであった僕の音楽会に夫妻で来てくれた。終演後に誘われて食事に行ったら、その席でいきなり言われた。「マエストロ、『トリスタン』をお願いします。これがスケジュールです。空いてますか」と。
この時ウォルフガングさんから、とてもうれしいことを言われた。兄のウィーラントの功績は、一九三〇年の音楽祭で初めてドイツ人でないトスカニーニ(イタリア)を指揮者に選んだことだ。ドイツの批評家らは「ドイツ人以外にワーグナーが分かるわけない」と批判したが、結局は大成功した。そして「私は初めてヨーロッパ人以外からエイジを雇った。頑張ってほしい」と。
そのときは純粋にうれしかったが、落ち着いたら使命感というか、ものすごいものを依頼されたと…。もちろん、期待や信頼には勉強して百倍、千倍にして返します。
師の思い継ぐ
―世紀の名指揮者のバイロイト・デビューに例えられたとは…。そう言えば、大植さんの師のバーンスタイン氏も出演を熱望していましたね。
主要な音楽祭、オーケストラ(オケ)はすべて振っている先生が、あそこだけ振っていない。お世話になった先生の思いも継がなければならない使命感も感じる。
―指揮者を志したのは。
小学二年のころ、テレビでバーンスタイン先生の指揮を見て、「ああいう風になりたい」と言ったらしい。初めて会ったのは大学生の時、小沢征爾先生の招きで参加した米国のタングルウッド音楽祭。ピアノを弾いていたら、見知らぬ男性がそばに座ってべらべら話し掛けるので「邪魔です」と手で押した
ら、その人がバーンスタイン先生だった。たまたまひげを生やしていて分からなかった。もう指揮者の道はだめだ、と思った。
ところが、先生から「ピアノに感激した」と指揮をするよう促された。振ったら、「君には力がある」と励ましてくれた。それが縁で、九〇年に亡くなるまで、できる限り付いて教わった。今の僕があるのも、偉大な先生からどんどん吸収できたおかげだ。
地域でも活動
―九五年には米国のメジャー・オケのミネソタ管弦楽団の音楽監督に就任しました。
ありえないほどの大抜てき。エリー・フィル(米ペンシルベニア州)で地域づくりや音楽会の充実などの活動をちゃんとやり、ミネソタでの客演も団員たちに喜ばれたのが認められたのだろう。
―確かにボランティア活動には熱心ですね。
好きだから。エリー時代は、街の幼稚園から老人ホームまでくまなく回った。ミネソタ時代に州の端から端まで六都市を一日で回ってから「エイジ・エクスプレス」と呼ばれるようになった。
―先ほど大阪市の中学校の吹奏楽部の指導を見せてもらい、あまりの音の変化に驚きました。
変わるでしょ。僕は彼らを限界まで引き上げ、さらに上のイメージを見せるんです。夢を、希望を持てば絶対できる、音楽っていうのはもっと自由になれる―と。僕が格好つけて、大先生だよ、みたいなことをやったら、何にもできない。実際にみんなと一緒にやる姿勢が大切です。僕が指揮で言うことは、中学生だろうが、一流のオケだろうが同じです。
―そのオケに、どんな演奏を求められているのでしょうか。
譜面を変えてまでやるロマンチックな指揮の時代から、譜面に書いてある通りの演奏が重んじられた時代をくぐりぬけ、現代がある。両方のやり方をミ
ックスし、感じていたことを素直に出せるようになって、やっと僕らの時代だと思う。そうしないと、僕らのアイデンティティーはない。
オケに時々、譜面の向こうを弾いてほしいと言う。ベートーベン、モーツァルトは、なぜこの音を書いたのか、二次元でなく、三次元で見てほしいと。そこにこそ深く陰影のある音が生まれる。
―大植さんが目指す音が、バイロイトの進む道と合致したわけですか。
ウォルフガングさんから一つお願いされたのは「ワグナーをエイジで客の元に戻してほしい」ということだった。バイロイトでは、いろんな演奏があった。極端なものもあり、そのとき一番戸惑ったのはお客さんだった。みんなが「これこそ昔から思い描いたワーグナーだ」っていう音を出すことが、僕に
対する期待なのかな。バイロイトではワーグナーだけが大事。それでいい。僕もそれを守っていきたい。
―来年は、久しぶりの広島公演があります。
故郷での演奏は、感無量。一番いいものを持っていきたい。それが、お土産代わり。今回は、僕が本当に手をかけたオケとともに、本物のドイツ音楽をお聴かせするつもりです。
来年6月 古里公演 | ボランティアで中学校の吹奏楽部を表情豊かに指導する大植さん=10月26日、大阪市立鯰江(なまずえ)中学校 |
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大植英次さんが指揮するハノーバー北ドイツ放送フィルハーモニーが来年6月5日、広島にやってくる。ブラームスなどドイツ音楽中心のプログラムで、本場の音を響かせる。
同フィルは大植さんが98年から、首席指揮者として手塩にかけてきた。最近は、ウィーンのムジークフェラインといった世界最高の舞台で大成功を収めるなど、華々しい活躍で人気と注目を集めているオケである。
古里公演の会場は、広島市中区の郵便貯金ホール。広島市文化財団、中国放送、中国新聞社の主催。
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