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2004/5/16
躍進の中電陸上部 坂口泰監督に聞く

対話で選手の自覚促す

 陸上の男子長距離界をリードする中国電力(広島市)。今年元日の全日本実業団駅伝では十二度目の挑戦で悲願の初優勝を果たし、三カ月後に迫ったアテネ五輪では男子マラソン代表に油谷繁選手(27)を送り込む。一九八九年、七人の部員で出発した陸上部が、わずか十五年で国内トップに上り詰めたのは、坂口泰監督の手腕が大きい。中電躍進の要因や指導方針、五輪マラソンの目算などを聞いた。

(運動グループ・下手義樹)

油谷のメダル 32キロが鍵

 ―駅伝での全国制覇に五輪マラソン選手の誕生。九〇年にコーチとして入社して以来、近年のこのような充実ぶりへ予感はありましたか。

 当時はどうなるこうなるじゃなく、部をつぶしてはいけないと毎日が必死だった。全国優勝なんて全く頭になかった。

 ―誕生したばかりの陸上部で、何から着手したのですか。

 (1)トレーニング環境の整備(2)選手の意識改革(3)有望選手のスカウト―。三つを同時に、早急にしなくてはならなかった。当時の練習環境は実業団レベルにはほど遠く、社会人選手としての意識もなかった。選手を勧誘に行っても相手にしてもらえない。「三重苦」だった。

 ―躍進の兆しが見え始めたのは、いつごろからですか。

 九五年ごろから。会社に対しては練習条件など、与えられるままでなく「強くしたいのでこうしてください」というスタンスで要求した。会社も理解を示してくれ、支援態勢が整った。

 芽生え始めたライバル意識

 ―九九年の全日本実業団駅伝で初めて3位に入りました。

 ようやく全国レベルを実感できるようになった。前年にはバンコクアジア大会三千メートル障害で内冨(恭則)が金メダルを取り、同年十二月の福岡国際マラソンで五十嵐(範暁)が2時間10分を切った。このころから選手の間に自然発生的に激しい競争意識が芽生え始めた。

 ―どんな指導方針で接していますか。

 方向性や練習メニューは選手個々と話し合って決める。選手の育った環境、能力、意識のレベルは異なる。このため、一人ひとりに合った練習などを対話の積み重ねで作り上げる。やらされる練習ではなく、目標のためにやるべきことは何かを自覚させる。決して好き勝手にやらせているわけではない。

 目標や練習内容は自分で考えられるよう、自律できるのがベストだが、大半は一人では無理。この選手は何を求めているのか、何を言ってほしいのかを、敏感に察知しなくてはいけない。

 ―スポットライトを浴びる選手から無名の存在まで、経緯の違う選手をトップレベルに引き上げた秘訣(ひけつ)は何ですか。

 高校、大学でトップを極めたランナーが実業団入りして鳴かず飛ばずになるケースは多い。過去の成功体験から抜け切れないでいるからだ。まず自分の置かれている現実を分からせる。もともと力はあるのだから、気持ちの方向性が間違いなく進んでくれれば力は発揮できると確信している。

 対照的に、高校時代無名の選手は、成功させなければならない責任がある。大事なのは信頼関係。これだけ練習すれば、このレベルまで伸びる、という向上心を持たさなければ。指導者としての勝負でもある。

 ―選手のスカウトで重要視する点は何ですか。

 会社の支店がある中国地方選手、または出身者を採用するのが基本。最も注目するのが人間性だ。気持ちが生き生きしていて、素直な人材。言い換えれば「生命力」が感じられる人間。逆に素質は高くても、チームに順応できず、マイナス要因となる選手はいらない。

 ―指導者として最も影響を受けたのは誰ですか。

 エスビー食品時代の中村清監督(故人)。理論や情報以上に哲学的な部分を求めていた。「陸上はただの身体運動じゃない。芸術として表現しなければならない」と常々口にされていた。そのためには選手の心を見ることが大事。苦しくて面倒くさい練習やレースはどんな価値があるのか、心と心で触れ合い、常に選手に説いていた。いまの私の指導の基本でもある。

 代表選考方法現場も戸惑い

 ―五輪まであと三カ月余り。油谷選手にメダルの可能性はありますか。

 金メダル有力候補は2時間4―6分台の走力のある選手たち。油谷はその次の2時間7、8分台グループに入ると思う。現実的に力が違う。

 ただ、アテネのコースは起伏が激しく、高温多湿の中でのレースとなる。油谷にはどんな条件にも対応できる抜群のレースセンスがある。

 油谷は30キロからの5キロごとのスプリットは15分前後だが、14分40秒台まで短縮すれば可能性はある。アテネは32キロからが下りになり、この時点で大きな変動は考えにくい。32キロでトップ集団に位置することが、メダルへの最低条件だ。

 ―今回の代表選考で女子の日本記録保持者の高橋尚子選手(スカイネットアジア航空)が漏れるなど、社会的にも物議を醸しました。現場の陸上競技の監督として、現行の選考方法に意見はありますか。

 男子でいえば、四つの選考レース(世界選手権、福岡国際、東京国際、びわ湖毎日)で、三人を選ぶこと自体に無理があると思う。どうしても納得できない選手がでてくる。現場もどのように評価されているのか、どう判断していいのか分かりづらい。

 油谷の場合、昨年八月の世界選手権で日本人最高の5位となり、国内の選考レースを見送った。この判断が正しかったかどうか、最後まで自問自答していた。

 例えば、せめて選考レースは二大会までにし、五輪を狙う選手はそのうち一レースしか出場できないなどの制約を設けてはどうだろう。どの選手にも与えられるチャンスは平等に一回だけ。恨みっこなしで一番分かりやすいと思う。


 植え付けた「プロ意識」

 監督の指導方針について、「特にないですよ。選手がそれぞれの課題をクリアし、真摯(しんし)に取り組んでくれているので」という答えが返ってきた。温和な表情に、ソフトな語り口。強烈なオーラやカリスマ性は感じられない。「坂口イズム」とは何か。

 「変革期にある社会情勢にあって、走ることができるのは本当に幸せ。それには結果を出してこたえるしかない」と口にする。「彼らは走ってこそ存在価値を示せる」。企業スポーツの構成員ながら、こと競技に対しては強烈な「プロ意識」を植え付けた。自然とチーム内の競争意識も激しさを増す。それが総合力アップにつながった。

 元日の全日本実業団駅伝で初優勝した時だ。記者会見で七選手は結果には喜びながらも、個々の走りについては誰一人「満足」とは口にしなかった。選手の向上心にゴールはなかった。この目的意識の高さこそが「坂口イズム」であり、念願の五輪選手誕生につながったのではなかろうか。

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「選手との対話の中で、一人ひとりに合った目標や練習内容を決めていく」と、指導方針を話す坂口さん
 さかぐち・やすし 世羅高時代の1979年、インターハイ千五百メートルと国体五千メートルで優勝し、全国高校駅伝は1区区間賞。早大では箱根駅伝で2、3年時に9区区間賞。4年時には優勝も経験した。84年にエスビー食品に入社。全日本実業団駅伝4連覇に貢献。マラソンは5度経験し、87年びわ湖毎日の2位(2時間11分8秒)が最高。心臓疾患で現役を引退し、90年に中国電力に入社。コーチを経て92年から監督を務める。広島県甲山町出身。42歳。

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