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2004/6/20
広島西飛行場問題 ジェイ・エア本社移転検討の理由は 西川社長に聞く

地理的に小型機需要低い

 開港から十一年目を迎えた広島西飛行場(広島市西区)の将来を見通す視界が利かなくなってきている。滑走路北側を横切る広島南道路の工法をめぐる広島市の方針がぶれ始めたのに加え、同飛行場と新潟、宮崎を結ぶコミューター便を運行するジェイ・エアが、本社を同飛行場から名古屋空港(愛知県豊山町)に移転する検討を始めたことが明らかになった。本社移転検討の理由、道路の工法が運航に与える影響などをジェイ・エアの西川建人社長(56)に聞いた。

(編集委員・山本浩司)

コスト面も名古屋優位

 ―単刀直入にお聞きしますが、本社を名古屋空港に移転する検討を始めた理由は。

 経営上の判断だ。事業会社である限り、まず事業として成り立たなくてはならない。そのためにいま、わが社にどのような需要があり、また将来どこで需要を掘り起こせるのかを考える。そのなかで、最も効率的な場所に本社機能を持つということだ。

着陸料に特典

 ―今月初旬、愛知県が中部国際空港(愛知県常滑市)の開港後、県営空港になる名古屋空港に本社を置く航空会社の小型機便に限って、着陸料を三年間三分の一にすると発表しました。このことが判断の材料となるのでしょうか。

 航空会社にとって、着陸料など「空港使用料」というコストが削減できることは大変ありがたい。現在広島県は、広島空港(本郷町)便との競合路線として宮崎便の広島西飛行場の着陸料を通常の倍の六万九千七百二十円にしている。もしこれが名古屋の割引料金並みの一万円になれば、一日一便で、年間二千万円を超えるコストが削減できる。同じ旅客収入が得られるなら、どちらを選択するかは明らかだ。しかし、本社移転の判断はコスト面だけでなく、わが社がJALグループ内でどのような役割を担わされるかなどの面を含めて検討することになる。八月中には結論を出す。

 ―一般論としてお聞きしますが、航空会社の拠点が移転すると運航にどのような影響がでるのでしょうか。

 拠点ではない空港で、早朝発、夜間到着便を運航すると、乗務員の宿泊、整備員の配置などのコストがかさむ。運航はより慎重にならざるを得ない。

 ―広島南道路の工法が橋になれば、現在の機材(ボンバルディアCRJ200型=五十人乗り)は、飛べないのですか。

 CRJ200は千八百メートルの滑走路を使う。千四百六十メートルでは飛べない。

 ―重量制限(ACL)を変更するなどしても無理でしょうか。

 千六百メートルあれば、ACLを変更すれば離陸が可能な場合もある。しかし、そのためには乗客数、貨物、積載燃料を減らすことになり、安全面、経営面で非現実的だ。千四百六十メートルでは無理だ。

 ―南道路の工法と本社移転の問題は連動しているのですか。

 別の問題だとはっきり申し上げる。わが社の事業をどう維持していくかという課題は、先ほどもお話しした観点から判断する。南道路の問題とは全く切り離している。

 ―二〇〇三年度の決算は、経常損益で一億四百万円の黒字でした。三期ぶりの黒字の要因は。

 黒字のけん引役になってくれたのは、名古屋発着の七路線と伊丹発着の四路線。特に日本航空と日本エアシステムの統合(JJ統合)後、日本エアシステムから移管され四便にした伊丹―山形便が搭乗率70%と好調だったのが要因だ。CRJ六機体制の効果が現れたとみている。

 ―二〇〇〇年以降、ジェイ・エアは広島県からの補助も受けず、自社の努力で黒字にこぎつけました。こうした状況は、各種経営判断を下す際にどう作用しますか。

 航空会社として純粋な判断ができるようになると考えている。

 ―前回の黒字は十九人乗りのジェットストリーム機五機体制が確立したときでした。その後広島西飛行場からのジェイ・エア路線は減り続け、いまでは通常、新潟、宮崎への一日一往復ずつとなりました。広島西飛行場を取り巻く人口、経済力や流動性などは、CRJを維持できるものではなかったのでしょうか。

東西に大動脈

 人口や経済力よりも、広島の地理的要因が大きいと思う。新幹線という大動脈が走る広島は東西の移動利便性が大変高く、航空便が生き残れるのは大型機が威力を発揮する東京などが中心になってしまった。わが社はCRJで札幌、福島、高知便と、さまざまな取り組みをしたが、残念ながらどれも結実しなかった。つまり広島から、五十人乗りのジェット機が活躍できる路線は限られるということだと思う。

 ―将来も広島西飛行場からの路線を維持する場合、行政の支援は必要でしょうか。

 航空便維持のためには、会社、行政などが力を合わせる必要があると考える。努力をした結果収益が上がらない場合、そのマイナス部分を誰が負担するかという単純な問題だ。離島便などは行政が維持することも考えられるが、都市間では考えにくい。会社が、その分を負担し続けることもない。収益性の良い他の路線にシフトするのは企業として当然の選択だ。

ジェイ・エアの広島西飛行場便の推移
1996年度 出雲、鳥取、松山、大分、関空、白浜、小松、新潟
97年度 出雲、鳥取、松山、大分、関空、白浜、小松、新潟、鹿児島
98年度 出雲、鳥取、松山、大分、関空、白浜、小松、新潟、鹿児島
99年度 出雲、鳥取、白浜、小松、新潟、鹿児島、高知
2000年度 出雲、鳥取、白浜、小松、新潟、高知
01年度 小松、新潟、鹿児島、高知、福島
02年度 出雲、新潟、鹿児島、高知、札幌、
宮崎
03年度 出雲、新潟、高知、宮崎
04年度 新潟、宮崎

 一層の路線縮小も

 広島空港開港を受けて誕生して以来、広島西飛行場は最大の転機を迎えようとしている。

 広島市中心部から直近という地の利がありながら、現在就航している定期航空路はジェイ・エアの二路線と日本エアコミューター(鹿児島県溝辺町)の鹿児島線の計三路線だけとなった。最盛期九路線もあったにぎわいがうそのようだ。ターミナルビルの一画にあった商業施設も二〇〇一年からほとんど空き家状態だ。

 西川社長は、広島でコミューター航空が持ち味を発揮しきれない理由を「新幹線という大動脈を持つ広島では、コミューターが必要とされなかった」と語った。しかし、本当の理由は別にあるのだと思えてならない。

 新空港開港に伴って廃止を約束していた現広島西飛行場を、財界などからの声に押されて存続させるときにはそろっていた県、市の歩調は乱れがちだ。愛知県は、これに乗じてか、中部国際空港開港後の名古屋空港維持の切り札の一つとして、着陸料割引の秘策を打ち出してきた。

 「本社移転と路線維持は別問題」と西川社長はいうものの、拠点である本社が移転すれば利便性低下による客離れを呼び、結果として路線縮小―撤退という連鎖を生む可能性は十分ある。

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「南道路の工法と本社移転、本社移転と路線維持はそれぞれ別問題」と話す西川社長(広島市西区の本社)
 さいかわ・たつひと 1971年、東京大学文学部卒業。同年日本航空入社。79年、運航本部管理部、89年人事部課長。96年運航業務部長、99年日本アジア航空企画財務部長、2001年、同社取締役業務部長。02年ジャルセールス常務取締役。04年6月11日から現職。東京都出身。

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