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2004/8/1
日本サッカーの未来 サンフレ 小野剛監督に聞く

地方の情熱 世界へ通ず

   二〇〇二年のサッカー・ワールドカップ(W杯)の日韓共催以降、日本サッカーは、一大マーケットとなり、年々熱気が高まっている。ジーコ監督率いるフル代表はW杯ドイツ大会へのアジア一次予選の真っ最中。U―23(23歳以下)世代は十二日から、メダル獲得を目指しアテネ五輪に挑む。そして、十四日に第2ステージ開幕を迎えるJリーグ1部(J1)。そのすべてに指導者として携わってきたのが、サンフレッチェ広島の小野剛監督である。国内外のサッカーに精通する小野監督に、サッカー界の現状や展望などを聞いた。

(運動グループ・小西晶)

若手を育てる姿勢 大切

 ―昨年から広島への応援熱が高まり、今季第1ステージの一試合平均観客数は、十六クラブでトップの伸び率(66・6%増)となりました。

 J2だった昨年、サポーターとスタンドが一体となる試合を何度も経験し、力をもらった。サッカー観戦というよりも、チームとともに戦ってくれる観客が増えたように思う。ありがたいことだ。今季の動員数にもつながっていると思う。

 ―地方のクラブを率いる難しさを、どんな部分で感じられますか。

 首都圏のクラブは、アウエーの優位がある。関東ならナイターでも自宅で寝ることができる。また選手も集めやすい。そういう面で苦しさはあるが、逆に広島ならではの良さもある。一つはクラブのコンセプト。選手は買ってくるものではなく、育てるものという考えがしっかりある。育てた選手でチームをつくり上げ、地域と一体になり戦っていく。そういう夢を追える環境がある。

 ―リーグの現状を見ると、豊富な資金力で選手を集めるクラブと、育成型のクラブとの二極化が進んでいるように思えますが。

 完全とはいえないが、色合いとして出てきている。リーグ創設時は、どのクラブの予算規模も大きな差はなく、同じスタートラインだった。しかし、街の規模、それに伴ったクラブの体力により、資金力のあるクラブと、そこまでいかないクラブは当然生まれる。強化していく過程で、色彩は出てくる。ある意味、Jリーグが熟成されてきたことで、その色が外から見ても分かるようになってきたのではないか。

■規模に応じて

 ―横浜Mの三ステージ連覇で、戦力の一極集中を心配する声も出てきましたが。

 クラブの目標には規模に応じたものがあって、そこを打ち破ることに楽しさがある。イングランドでいえば、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナルといったビッグクラブに、小さな町のクラブが一泡吹かせてやろうという目標があったり、優勝は無理でも1部残留する、何年かに一度、4、5位になって欧州のカップ戦に出場するというのもある。こういったクラブが混在しリーグが成り立っている。サポーターの喜びはすべて同じでなければならないということはない。それが自然な姿ではないか。

 ―結果ではなく、クラブへの愛着に支えられているということですね。

 南米でも欧州でも言われているが、「女房とは離縁できてもクラブとは離縁できない」という言葉がある。2部に落ちようが、一度クラブを愛したら、ほかのクラブへ乗り換えられない。そういうところが、サッカーが地域とくっついた時の面白さだろう。

 ―フル代表について、現在のファンの熱狂ぶりをどう見てますか。

 サッカーがメジャーなスポーツになるためのキーワードは「世界」だと思ってきた。Jリーグやその他、国内の多くの戦いが集結されて、世界に出て戦う面白さ。その意味では、日韓W杯開催は大きかった。それまで日本は世界のサッカーで認知されていなかった。それが、W杯をやり、しかも日本代表が健闘して、ようやくサッカーで世界の仲間入りできた。現在の盛り上がりに大きくつながった。

 ―ただ、まだイベント的な色合いが強いと感じるのですが。

 イングランドなどは、W杯予選はすごい熱狂になるが、親善試合では、スタンドもがらんとしていて、逆にリーグのほうが盛り上がっている。日本でもっとサッカー文化が熟成すれば「国際試合だから、日本代表だから」という視点から、本当の勝負をかけた試合の面白さへと、ファンの価値観も変わってくると思う。

 ―五輪代表を含め、監督が携わられたユースレベルでの強化が、目覚しい成果を挙げています。

 一九九八年のW杯で、代表を集めてからいざ強化では、世界に太刀打ちできない。育成の部分が大きな勝負だと感じた。素晴らしい素質を磨き切るだけの体制をつくっていく必要があった。小中高の指導者が縦のつながりを持ち、地域で育て、上にいい選手を送り出す。システム構築の上で、地域の指導者の情熱がなければ成功はなかった。

 ―アテネ五輪代表に期待することは。

 メダルという目標がある。決して簡単ではないが、あのチームがうまく機能すれば不可能な目標ではない。ほとんどの競技は五輪が最終目標のような部分があるが、サッカーにはW杯がある。厳しいグループに入ったが、それは貴重な経験にもなる。思う存分暴れてほしい。

■創造性高めよ

 ―今後の日本サッカーの展望は。

 僕らが子どものころは、一つの海外のクラブチームが来ても、日本代表は勝てなかった。今は勝敗はともかく、あれだけ堂々と渡り合える。そこまでレベルが到達してないといけないし、場数を踏んでないと、ああいう戦いはできない。格段な進歩だろう。今後、日本が世界を制するためには、フィジカル面でのハンディから逃げず、勝てないまでも対等に戦うレベルまで引き上げることが重要。その上で、一つのボールに二人、三人とかかわってくる、集団的創造性を高めていけばいい。できないとあきらめたら、成功のシナリオは見えてこない。

 ―小野監督の考えるサッカーを、今、広島で実践しているわけですね。

 私の仕事は広島を強くすることだ。第2ステージでいいサッカーを見せ、来季にJ1を制覇する足場を固めたい。


 J1復帰で「理想」実感

 四十一歳とは思えないほど、豊富な経験と知識を持っている。南米、欧州でのコーチ研修の後、W杯フランス大会を経験。ユース世代の育成システムの構築にも携わった。ピラミッドの底辺から頂点までを知り尽くしているからこそ、その提言は説得力をもつ。

 素顔は、「日本サッカー界屈指の理論家」という評から受けるイメージとは対照的だ。「バーニングスピリット」(燃える熱い心)というキャッチフレーズを選んだことでも分かるように、熱血漢。全身で選手を鼓舞する姿に、人柄がよく表れている。

 新人監督として挑んだ昨季。「一年でのJ1復帰」という目標は、決して容易な仕事ではなかった。苦しい状況になった時、支えてもらったと振り返るのがサポーターの力。「地域、育成」にこだわる一つの理想型を、J1復帰への過程で感じ取ったのだろう。

 口癖は、「三年でJ1優勝争い」。理論と実践、理想を追い続ける意志。この三本の矢を束ねる小野監督なら、日本サッカー界を席巻するようなチームをつくり上げるかもしれない。

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「Jリーグはもちろん、地域の指導者を含めた情熱が、日本のサッカーを支えている」と話す小野監督
 おの・たけし 筑波大で活躍し、同大大学院時代に欧州でコーチ研修。1996年に広島の育成担当スタッフ入り。97年に日本代表の岡田武史元監督(現横浜M監督)からコーチに抜てきされ、ワールドカップフランス大会初出場に貢献した。2002年には、アテネ五輪代表世代のチームづくりに携わり、ツーロン国際大会で指揮を執った。広島のヘッドコーチを経て、同年12月に監督に就任。03年にJ2で2位となり、チームを1年でJ1復帰に導いた。千葉県出身。41歳。

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