日韓交流の転換期示す
二〇〇四年の社会現象といえば、韓国ドラマの人気ぶりが挙げられるだろう。火をつけた「冬のソナタ」に続けとばかり、韓国発のテレビドラマや映画が次々と公開され、書店には関連本が平積みで並ぶ。一方、韓国では、日本の植民地統治に協力した行為を裁く特別法が九月に施行された。こうした事象から何を読み取り、生かすべきなのか。朝鮮近代史を専門とする県立広島女子大の原田環教授(58)に尋ねた。日本の歴史教科書の記述をめぐり、日韓両政府の合意で一昨年に発足した「日韓歴史共同研究委員会」(日本側十人)のメンバーでもある。
(編集委員・西本雅実)
等身大 広がる関心 基礎知識深める必要
―日本で初めてといっていいほど韓国の大衆文化に熱い視線を注いでいる今のブームを、どうみていますか。
ソウル五輪(一九八八年)以降の人、モノの流れの結果だと思います。韓国は五輪を機に都市基盤の整備を進め、外国からのお客を受け入れる現代の開国をした。土産物店でも朝鮮人参(にんじん)やキムチの売り場が小さくなり、ブランド品が増えた。そこへ日本から国内より安いツアーで主婦や独身女性が訪れ、日常的な親近感を持つようになった。
日本で韓国への関心といえば、これまで政治絡みでした。金大中(キムデジュン)氏の救援運動(七三年に東京で誘拐、ソウルで解放。九八―二〇〇三年大統領)とか、広島なら被爆者問題と個別のテーマから接近し、一部の人が肩入れするだけで限られていた。今は自分の感性の延長や等身大で見る層が広がった。それらをすくい取ったのが「冬のソナタ」の人気でしょう。
―日本との「未来志向」を強調する盧武鉉(ノムヒョン)政権で、日本の植民地統治(一九一〇―四五年)にさかのぼる「親日反民族行為真相究明特別法」ができたのをどう考えますか。
要因は二つあります。南北の対話ムードの中で北朝鮮のいわば理念に合わせている。北朝鮮は植民地からの解放後にソ連軍が入ってきて地主や資本階級を排除した。韓国は米国の影響下で温存し、朴正熙(パクチョンヒ)政権(植民地下で日本陸軍将校、六一年軍事クーデターを起こし、七九年まで大統領)は民主化運動を抑えた。
ところが現実はどうか。北朝鮮は国際的な援助を求めている。韓国は都市型国家として発展してきた。あの法律は韓国の現実的な要請から生まれたものではないとみています。二つ目は、抑えられた人たちが、朴氏の娘である朴槿恵(パククンヘ)氏が率いる野党ハンナラ党をたたこうとしている。
政治的戦略の産物
―日本との歴史を裁くのは「反日」だからではない?
そうだと思います。ひたすら相手を刺激しない北朝鮮政策と、野党対策という政治的な戦略と考える方が妥当です。
―とはいえ、韓国の有力紙「中央日報」が最近報じた意識調査でも「最も嫌いな国」は、日本が41%と米国の24%を大きく引き離しています。
基本的には学校教育のせい。人、モノの交流が密接になり、経済は相互補完を強めながら、韓国の歴史認識が変わっていない。日本に植民地化されていく中でつくられた抵抗者としての自己意識、近代ナショナリズムが繰り返して教えられ、生命力を保っている。
どこの国の歴史も自己中心的ながら、韓国史に流れる論調は、いいものは内で悪いのは外という考えが強い。経済成長でも内在的発展論や民族資本論を盛んに言った。しかし、IMF危機(保有外貨の払底に直面して九七年、国際通貨基金に緊急支援を要請。日米が追加融資)でみられたように成り立たなかった。政治や歴史は内と外の相関関係で展開している。ナショナリズムは、パソコンのソフトのように時代に合わせてバージョンアップすべきです。
通用せぬ民族意識
―なぜですか。
韓国の企業も中国やインドなどへ進出し、経済力は世界十位に迫り、資本輸出国となっている。一九〇〇年代初期につくられたナショナリズム、民族意識ではグローバル社会で通用しない。内と外の対立構造的な考えの改変を求められている。
日韓関係でいえば、侵略したされたと互いに固定的に考えているだけではダメです。その時の利益は何か、当面の問題をどう処理するかをリアリズムを持って、日本も当たるべきだと思います。
―北東アジアの安定と平和には日韓の連携が欠かせません。同時に歴史認識の違いが互いの壁として続いています。共同研究の現状は。
古代、中近世、私が所属する近現代史の三つの分科会で議論を重ね、来年五月に報告書を出す予定です。日本側の学者は資料に基づいて実証的に書き、ある方向性はとっていない。日韓で統一した考えは出せないでしょう。何より、さらなる基礎研究、相手を互いに知るシステムの必要性を痛感しています。
国際的視点欠ける
―と、いいますと。
日韓とも基礎知識を深める教材、また教える場が足らない。歴史教科書の改定のたび間欠泉が噴き出すようにぶつかり合うのは、基礎的な知識や国際的な視点が互いに欠けているからです。「冬のソナタ」ブームを通じて、いわば普通の人たちが韓国を身近に感じるようになった。しかし、基礎知識がないと、何か事件が起きるとぶれてしまう。互いの歴史や感情の成り立ちを知る情報を集め、提供し、それに基づいて判断することがますます要ります。
例えば韓国でも急速に高齢化が進んでいる。大衆レベルの付き合いになる中、介護はどうしているのかという交流があっていい。日韓関係をある時期だけをとり出して考えるのではなく、日常的に冷静にとらえる。「冬のソナタ」ブームは日韓のこの十数年の交流の結果であり、また転換期を示しています。
理解し合う関係をに
個人的な記憶を振り返れば、記者が韓国を初めて旅したのは八一年。軍事政権下にあり、深夜から未明は通行禁止令が続いていた。屋台のおばさんは日本語が流ちょうであっても、日本語を話すと客からはからまれた。見た韓国映画を帰って話題にすると、周囲からは「物好き」と評された。隣国を受け止める姿勢は互いに肩ひじ張り、思い込みがぬぐえなかった。
それから二十余年。日韓は一日一万人が行き交うようになり、韓国の映画やテレビドラマが、日本で当たり前に見られるるようになった。ソウルの繁華街を歩くと、日本語でためらわずに道案内や写真撮影を求める若い女性たちに出会う。顔をしかめる人もいない。
「普段着の付き合い」ができつつあるからこそ、相手を理解し合う関係を深めたい。絡み合った歴史や立場をひるむことなく見つめ、相手を認識する。来年は日韓の国交正常化から四十周年でもある。
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