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2004/12/19
逆風の「ゆとり教育」 文化庁文化部長 寺脇研さんに聞く

多様な価値観 接する場に

 子どもをめぐる痛ましい事件が相次いだこの1年。一方で、「生きる力」をはぐくもうと始まった「ゆとり教育」は、逆風にさらされている。広島県教育長在任中から子どもたちに向き合い、ゆとり教育の旗振り役を務めてきた文化庁文化部長の寺脇研さん(52)は、どう受け止めているのだろうか。

(編集委員・山内雅弥)

自分の考えを持って 学力養成は長い目で

 ―今の子どもたちの状況を、どう見ますか。

 昔の方が生活は貧しかったし、受験戦争も厳しかったと、よくいわれる。しかし、貧乏や受験というように、つらい理由がはっきりしていた。今なぜきついのか、子ども自身もよく分かっていない。親の期待が重くのしかかり、夢や理想を持ちにくいなど、さまざまなことが重なって、「息苦しさ」を感じているのだろう。

「みんなOK」

 ―その息苦しさは、どこからくるのでしょう。

 京大のイベントに呼ばれた時のこと。企画した女子学生から「私たちのやっていることは間違ってないでしょうか」と尋ねられた。「間違ってないよ」と言うと、ほっとした顔になった。大人から承認された経験があまりにも少ない。「このままの自分でいい」という自信が持てないのだ。

 大人からは何の問題もなく見える優等生的な子でさえ、「大人の希望に沿っている自分はいいけど、沿っていない自分は悪い」という強迫観念がある。ましてや、不登校だったり、つまずいている子どもたちは、どんなにかつらいだろう。「みんなOKだよ」というゆとりが、教育の場ではあっていい。

 ―親や教育現場から「学力低下につながる」と、ゆとり教育への風当たりが強まっています。

 「子どもにとって一番大事なことは学力ですか」と、私は聞きたい。子どもたちの事件が起きると、「子どもたちにゆとりがなさ過ぎる」「学力一辺倒ではおかしい」と口をそろえる。だが、「学力が低下するから、ゆとり教育はだめ」というのと、どう整合するのか。

 今の子どもたちがつらいのは、親や先生の単一の価値観からだけ見られて、「駄目だ」とか「頑張れ」と言われるから。大勢の人の価値観に触れることだ。親や先生以外の人たちとも幅広く付き合えるよう、土曜日を休みにしたり、「総合的学習の時間」で、いろんな体験をするようになった。学力はもちろん大切だが、より大事なものがあることを忘れてもらっては困る。

 ―ゆとり教育世代の子どもたちの学力の落ち込みが、経済協力開発機構(OECD)の実施した「生徒の学習到達度調査」で明らかになりました。

 二〇〇二年以前は、画一主義、横並び主義を変えずに、教育内容を減らすことだけをやってきた。その代わり、小学低学年の生活科で農作業を体験させたりしてきた。教科学力に関して、テストの点数が多少下がるのは、ある意味で必然的だろう。

 しかし、下がらない方がいいに決まっている。〇二年からは画一的にするのをやめ、一人ひとりの能力に応じて学力を伸ばせるようにした。現場にはまだ戸惑いがあるようだが、きちんと徹底させれば、必要な学力を十分身に付けてもらえる。

100年先見越す

 ―しかし、文部科学省も学力重視に軸足を移したように見えますが。

 新学習指導要領の読み方が改訂されたが、ゆとり教育を理念に据えた本質そのものは変わっていない。「三歩進んで二歩下がる」事態が、今起こっているのだろう。でも、歴史の流れは止められない。私たちは五十年、百年先を見越して仕事をしている。目先の学力テストの点数だけを上げることではない。

 本来、学力というのは一生涯にわたって身に付けていくもの。五十歳、六十歳になっても、新しい知識や技術を得ている人がたくさんいる。十五歳なり十八歳までに、遮二無二、学力を付けなければいけないという時代ではない。

 ―子どもたちとの対話を、現在も続けていますね。

 日本の文化は、大人のものだけではない。子どもたちに文化や平和を説き、差別について話し合うことも文化活動だ。子どもと話すと、必ずこちらが刺激を受ける。相手のためだけにやっているという気持ちは全くない。

 十一月に大阪で主催した日韓学生サミットでは、高校生たちとも話した。参加していた在日の女生徒が途中、涙をこぼした。「大人が、真剣に私たちのことを考えてくれているなんて知らなかった」と。大人と子どもの意思疎通ができていないことを痛感した。

 ―子どもたちに伝えたいことは。

 自分の考えを持つことだ。思い通りにならなくても、自分で考えたことを大切にしてほしい。たとえ、かなわぬ夢でも持つことに意味がある。

 不登校していたり、引きこもっている子には、「君たちは悪くない」と言いたい。学校に行けないときは、無理して行かなくていい。先のことをあれこれ言うから、おかしなことになってしまう。親や先生も「それでいいんだよ」と、受け止めてあげてほしい。


 問われる学びの本質

 昨今かまびすしい、ゆとり教育論争で、子どもたちの声がほとんど聞こえてこないことが気に掛かる。不登校への対応もそうだが、「結果」だけを急ぐ大人社会の論理が垣間見える。

 ゆとり教育の集大成となる新学習指導要領は小中で二〇〇二年度、高校では〇三年度にスタートしたばかり。寺脇さんが「大人の自信のなさの裏返し」と、学力低下論の高まりにひそむ背景を指摘するのも、あながち我田引水とは言えまい。

 ゆとり教育批判を一段と強める形になったOECDの国際学習到達度調査結果。新聞各紙には日本の高校生の学力低下を憂う見出しが躍った。しかし、教育学者の大田堯さんによると、日本の学力低下は、学校制度が整備された大正期以来続く根の深い問題だという。

 トップレベルの学力で一躍、世界の注目を集めるフィンランドの子どもたちは、十週間の夏休みがある。授業時間も、むしろ日本より少ない。同国の教育相は、英BBC放送のインタビューに「読み書き能力の高さは、家庭に根付く読書文化に負うところが大きい」と語っている。

 授業時間や教科内容を増やせば学力が向上するとするのは、「木を見て森を見ない」発想といわざるを得ない。学びの本質が問われているのだ。

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「子どもが自分と向き合って、ゆっくりと自分の人生を考えるゆとりが必要だ」と語る寺脇さん
 てらわき・けん 1952年福岡県生まれ。東京大法学部卒。75年文部省に入り政策課長、大臣官房審議官などを経て2002年から文化庁文化部長。93―96年の広島県教育長時代、いじめ問題で緊急アピールを発表。不登校の子どもたちとも積極的に対話した。映画評論家としても知られる。著書に「21世紀の学校はこうなる!」など。

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