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2005/1/23
金融改革と地域金融機関 広島信用金庫理事長 高木 一之氏に聞く

生き残りへ特性発揮

 四月からペイオフ(預金の払戻保証額の制限措置)が完全解禁され、金融庁の「金融改革プログラム」がスタートする。各金融機関とも不良債権処理問題がようやく落ち着いてきた中、今後は一段と規制緩和が進み、金融サービス強化も求められる。その中で地域金融機関はどう生き残り、地域貢献を図るのか―。中国地方の二十八信用金庫で最大の預金量一兆円を持ち、五月に設立六十周年を迎える広島信用金庫(広島市中区)の高木一之理事長(64)に聞いた。

(編集委員・宮田俊範)

客と密な付き合い

 ―二〇〇二年四月のペイオフ一部解禁の際は定期預金から普通預金へ多額の資金がシフトするなど混乱しましたが、今度は大丈夫ですか。

 前回は金融機関がつぶれるかもしれない不安があったが、今回は不良債権はほぼ処理され、景気も良くなって状況が異なる。例えば、うちも昨年十一月からペイオフの全面解禁後も預金が保護される新しい決済用預金を導入したが、まだあまり動きがない。それは預金者が金融機関に対して安心感を持つようになったからだ。今回は穏やかに進むのではないか。

 ―ここまで完全解禁を延期した政府判断が正しかったわけですね。

 結果的に延期は正解。前回で完全解禁に踏み切っていたら大混乱したはずだ。金融システムが落ち着いてきたため、金融庁は現行の不良債権処理の半減を目指した「金融再生プログラム」から「金融改革プログラム」に切り替えた。今後は貯蓄から投資、間接金融から直接金融という流れが加速し、金融、証券、保険の枠組みを超えた規制緩和が進むだろう。

 ―バブル崩壊後、地方銀行と第二地方銀行は一県一行、二行体制へ統合が進みました。信金の現状はどうですか。

 全国では多い時に約五百六十金庫あったが、今は三百金庫そこそこ。合併予定も含めると三百金庫を切るまでになった。広島県でもかつて十三金庫あったが、現在は五金庫と半分以下になっている。全国で見れば、昔の城下町を中心に経済エリアが構築されている地域が目立ち、それを基盤にしている信金が多い。

 ただ、これ以上再編すべきかといえば疑問だ。信金は協同組織であり、銀行のように規模を求めたのでは信金らしさがなくなってしまう。例えば、北海道が「信金ランド」と言われているように、信金は田舎では依然として強い。全国的にも県庁所在地は地銀、第二地銀と競合するため経営環境は厳しいが、中核都市では頑張っている。

付加価値で勝負

 ―広島県では広島総合銀行とせとうち銀行が合併したり、隣県から山口銀行や中国銀行が攻勢をかけるなど競争が激化しています。

 確かに一昨年から金利競争が激しくなっている。ただ、金利競争は消耗戦になるため結局、規模の大きいところに負ける。われわれはそうでなく、地域に密着した店舗網や地縁、人縁などを生かした付加価値サービスで対抗している。店舗網も広島周辺だけで七十以上あり、決して地元の地銀にひけをとらない。将来、さらに高齢化が進めば、お客にとって便利な店舗網の強さがもっと生きてくるはずだ。

 ―信金らしさで対抗できるわけですね。

 われわれは融資する際、いつも一対一でじっくり借り手と話し合い、きちんと事業を理解しようと努めている。確かに手間はかかるが、それを好むお客は多いし、そういうアナログの世界がいまだにある。それがわれわれのプライドだ。

 地銀が網をかけたら、われわれはもっと小さな網をかけて徹底的に掘り下げている。大都市の信金の中には一軒ずつ回る集金をやめるところがぼつぼつ出始めているが、「足の金融機関」から足を取ったらだめ。非効率であろうとお客と密な付き合いを重ねる中で、車や進学、住宅のローンなど、生涯の各ステージにわたる取引が必ず生まれる。非効率の中に効率を求め、「大銀行はお客を口座番号で扱うが、われわれは友人として扱う」という誇りを胸に信金らしさを追求したい。

 ―信金はいまだに原則として会員は従業員三百人以下または資本金九億円以下の事業者に限られるなどの制約が課せられています。

 業界としても制約を外すべきか意見が分かれているが、私は地域限定で中小企業を相手にする制約があるからこそ信金としての存在感があるのだと思う。かつて相互銀行が第二地銀に変わったが、うちが制約を外して「第三地銀」になったのでは広銀、もみじ銀に続く文字通りの三番目の銀行という位置づけでしかなくなる。そうなると中小企業の支援を誰が担うのか。その枠組みを外せば地域も困るはずだ。

「駆け込み寺」に

 ―不良債権処理問題などを考えれば、一定規模を追求して収益を増やすことも求められます。

 それが一番の悩み。われわれは金融機関としての健全性と信金の特性発揮という二律背反的なことが求められる。そのバランスをどう取るかが大事で、私はあえて二兎(と)を追いたいと思う。ただ、これまでどちらかといえば不良債権処理のために収益に軸足を置いてきたが、六十周年を機に再び、信金としての特性発揮に軸足を移したい。

 うちに来れば、店舗や人材、情報ネット網を使い、さまざまな知的サービスが受けられる。困った時は信金に行けばいいという「駆け込み寺」のような存在でありたい。親しみやすさがわれわれ信金の持ち味であり、げたを履いても窓口に行ける金融機関であり続けたいと思っている。


 「らしさ」追求が必要

 信用金庫と地域のものづくりは深い相関関係にある。ホンダやヤマハなど世界トップクラスのメーカーが立地する静岡県浜松市では地元信金の強さが目立つ。自動車などすそ野が広い産業を支えるために数多くの町工場が操業し、その資金繰りを担っているからだ。

 京セラやオムロン、村田製作所などIT関連産業で独特の強みをみせる京都市もそうである。さらに最近は数多くのベンチャー企業が立ち上がり、それを支える地元信金の存在感は大きい。

 広島や備後もまた信金が頑張り、自動車や造船、機械などに携わる中小企業を支援してきた地域だ。広島信用金庫があまたの第二地銀より大きな規模となったのも、逆に広島のものづくりが育ててきたといえる。

 ただ、バブル崩壊後、地銀などは海外から撤退したり、資金を東京から地元に回帰させている。各地で業態を超えて競り合う中、競争に勝ち抜くためには高木理事長が語るように、あらためて信金らしさの追求が必要だろう。それを極めることが結局、地域産業の振興にもつながるからだ。

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「困った時は信金に行けばいいという『駆け込み寺』のような存在でありたい」と語る高木氏
 たかき・かずゆき 慶応大経済学部卒業後、1968年に広島信用金庫に入庫。企画部長、常務理事、専務理事などを歴任し、2001年6月から現職。茶道上田宗箇流の上田宗嗣家元の実兄。広島市安佐南区出身。

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