2005.6.7
1. 心意気一つ 伝統支える

コメ同様 期待が活力

 植え付けを終わったばかりの緑色の苗の列が、滑らかな曲線を描く。険しい谷へ、へばり付くように棚田が続く安芸太田町の坂原地区(旧筒賀村)。「先祖から受け継いだ田を、わしの代で絶やすわけにいかない」。坂原神楽団の植木一利団長(58)は水田を見渡しながら、言葉を続けた。「二百年近い歴史がある神楽も、同じことよ」

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地元農家の女性と稲の生育状況などを語り合う、植木団長(左から2人目)、森田さん(同3人目)、梅田さん

 坂原神楽に詳しい元団長の植木如月さん(74)宅を、植木団長と訪れた。「父助三郎は神役で名をはせた」「祖父亀助は農業一本だったが、神楽で稲刈りを休んでも文句一つ言わなかった」。神棚の横に並ぶ遺影を見上げ神楽談議がひとしきり。古民家の写真一枚にも、生きた農村の歴史が刻み込まれていた。

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 戸数三十戸の地区は、三人に二人が六十五歳以上のお年寄り。植木団長自身も坂原地区に住んでいない。本業の建設業の仕事が多い広島市西区に住居を構え、毎週末に帰郷。実家の田二十五アールでコメを作り、神楽の練習に参加する。

 坂原出身の団員、会社員坂田秋生さん(56)と孝光さん(49)兄弟も、広島市内から週一回、練習に通う。高校進学で古里を離れた秋生さんは「朝起きて顔を洗い、朝飯を食べるのと同じ。生活の一部だからつらくない。地域活性化の使命感もある」。農村で生まれ育った底力をうかがわせる。

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 厳しい現実もある。県無形民俗文化財の味わい深い「坂原神楽」を継承するには、最低十三人必要。町役場で働く梅田幹二さん(44)や、地域の林業を担う森田実さん(42)たちが舞い手を引っ張るが、最高齢の植木大典元団長(78)にも現役で舞い続けてもらう状況だ。

 「『坂原の神楽じゃなきゃ駄目』と期待してくれる人がいる限り、頑張り続ける」。植木団長は心に決めている。小学四年の時に坂原神楽を見て引かれ、団の笛役になった広島市中区の看護師槙原夕乃さん(21)は「何度見ても飽きず、最後まで見入ってしまう神楽は坂原だけ」と言い切る。この言葉が団や地域のエネルギーになる。

 六月に入っても雑草が茂った田が目立つ。作付面積は最盛期の半分以下に減ったが「子どもや孫に持たせて『買うより新鮮でうまい』と喜ばれると、また作ろうと思う」と植木団長。神楽を守る意気込みは、非効率と言われてもコメ作りを続ける誇りに通じている。


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