朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が北朝鮮に軽水炉を建設する事業が難航している。北朝鮮が1994年の米朝枠組み合意に違反してひそかに核開発計画を進めていたことが分かり、昨年12月から1年間の事業中断となった。北朝鮮は援助を受けていた旧ソ連の崩壊などで電力事情が悪化し、経済は破たん状態にある。建設費の7割を負担する韓国も製造中の原子炉が行き場を失いかねないなど、波紋が広がっている。
見えぬ打開の糸口
韓国・釜山市の西にある昌原市に主力工場を構える斗山重工業。韓国唯一の原子炉メーカーとして、KEDOが建設する軽水炉の主要部品の製造を請け負っている。
鎮海湾に面し、五千人が働く広大な工場群の一つに原子力工場がある。「この工場の撮影はだめです。カメラはここに置いてください」―。案内してくれた原子力ビジネスグループ社員は、朝鮮半島情勢の厳しさをうかがわせるように命じた。
製造ラインには、巨大な圧力容器や蒸気発生器、加熱器などの完成品、部品が所狭しと並んでいた。中ほどに「KEDO1号機」「KEDO2号機」と黒板に説明が書かれた二つの圧力容器があった。韓国が自主開発し、蔚珍3―6号機などに採用された韓国標準型加圧水型軽水炉の「心臓部」である。その巨大な外観はほぼ出来上がった状態だった。
事業中断前のKEDOの計画では、1号機は二〇〇八年、2号機は〇九年の稼働を目指していた。原子炉は〇五年ごろ、北朝鮮の日本海側にある咸鏡南道の琴湖地区の建設地に運ばれ、据え付けられる予定だった。
「原子炉の製造は順調に進んでいる。だが、肝心のKEDOのプロジェクトがどうなるのか、見通しが立たないことが気掛かりです」と原子力ビジネス担当副社長。KEDOの事業が頓挫すれば、製造した機器は行き場を失いかねない。この一年で急速に緊迫の度合いを強めた北朝鮮の核開発問題が気掛かりだ。
KEDOは一九九七年、米朝枠組み合意に基づいて琴湖地区で軽水炉二基を着工。敷地造成の後、二〇〇二年八月からは原子炉建屋などの本体工事もスタートさせていた。当初の二〇〇三年稼働という建設スケジュールからは遅れていたものの、工事は34%まで進んだところだった。
事業中断は、二〇〇二年十月に米国が北朝鮮がひそかに核開発計画を進めていたのをつかみ、北朝鮮側も会談の席上で認めたことが発端である。北朝鮮は同年十二月に枠組み合意で凍結されていた寧辺地区の核関連施設の再稼働を表明し、国際原子力機関(IAEA)の査察官も国外追放。さらに昨年四月には核不拡散条約(NPT)から脱退し、核兵器の保有も認めるなど事態をエスカレートさせた。
IAEA保障措置局で過去三年間、北朝鮮の核開発問題を担当してきたユスリー・アブシャディ・セクション長は「監視カメラが撤去されて最新状況は分からないが、査察官の退去前に寧辺1号機を再稼働させる準備を進めていたことは確か」と説明する。
IAEAとしては向こう三、四年間の計画で北朝鮮の核関連施設の査察を実施し、核開発の有無を検証。問題がなければ、韓国で製造中の原子炉を北朝鮮に持ち込んで据え付けることを認める予定にしていたという。
だが、一月初めに北朝鮮を視察した米訪問団の報告では、既に寧辺1号機は再稼働。使用済み燃料棒約八千本が保管されていた貯蔵施設が空になっていた。プルトニウムと称する粉末も見せられた。プルトニウムを生産する再処理施設が稼働しているかは未確認だが、軽水炉建設事業にとっては悪い事態へと進んでいることは間違いない。
アブシャディ・セクション長は過去に十二回北朝鮮を訪問。寧辺地区にも立ち入った。「寧辺地区にはわれわれにも見せない建物がいくつかあり、その実態はうかがい知れない。北朝鮮はエネルギー不足で危機的状態にあるだけに、一日も早い問題解決を願う」と語り、いつでも北朝鮮に出掛けて査察を再開する態勢を整えている。
■北朝鮮の原子力発電所
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(万キロワット) |
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※は1985年に臨界、86年に運転開始(日本原子力産業会議調べ) |
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北朝鮮がひそかに核開発計画を進めていたことが判明し、工事が1年間中断されたKEDO1号機=北朝鮮琴湖地区(KEDO提供)
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朝鮮半島エネルギー開発機構
(KEDO)
1994年の米朝枠組み合意を受けて95年3月に設立。北朝鮮が独自に建設した、プルトニウムが取り出しやすい黒鉛減速ガス冷却炉の活動を凍結し、最終的に解体する代わりとして軽水炉2基を提供する。1基目完成までの間は代替エネルギーとして重油年50万トンを供給する。理事会は韓国、日本、米国のほか97年加盟のEUも参加。総事業費46億ドルのうち、韓国が7割の32億ドル、日本が10億ドル、米国とEUが残りを負担する。 |
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