中国で原子力発電所の完成が相次いでいる。1994年に1号機が運転開始してまだ10年だが、既に8基が稼働し、3基が建設中だ。2010年までに4基を新設する計画も決まり、世界8位の規模になる。78年に改革・開放政策を打ち出して以来、驚異的な経済成長が続き、電力需要が急増している。このため昨年夏から深刻な電力不足に陥って工場の操業などにも影響が出ており、中国政府は電力供給の要として原発の建設を一段と加速させる構えだ。
2010年 世界8位に
猛暑に見舞われた昨年夏の中国。全国三十四省・市のうち、上海市や広東省など二十一省・市で一時停電や電気の使用制限が続いた。現地に進出した日系企業の工場も操業を短縮したり、休みを平日に振り替えるなどの対応に追われた。
その最中の八月、最高行政機関である国務院は「三門地点と嶺東地点にそれぞれ百万キロワット級の原子炉二基ずつを建設する」と、原発計四基を二〇一〇年までに新設する計画を明らかにした。
三門地点は浙江省台州市にあり、上海市にほど近い。嶺東地点は、既に運転を始めている広東・大亜湾原発や広東・嶺澳原発が立地する広東省にあり、香港のそばだ。いずれも経済発展が著しい沿岸部に安定的な電力を供給する狙いで一致している。
発電所の整備について現行の第十次五カ年計画(二〇〇一―〇五年)では、建設が進む三峡ダムを筆頭に大規模な水力発電所や火力発電所の建設に重点が置かれ、原発については「適度に発展させる」という表現にとどめて具体的な立地点は盛り込まれていなかった。九〇年代後半、アジア通貨危機の影響などで一時的に電力需要の伸びが鈍化し、それまで二十年以上続いていた電力不足が解消されていたからだ。
だが、昨年夏の事態は計画の見直しを迫ることになった。国務院が急きょ、四基の原発の新設を決定した背景には、電力不足がいかに深刻な状態に陥ったかがうかがえる。
中国の原子力発電の歴史は新しい。一九九四年に最初の大亜湾1、2号機の運転を開始してまだ十年だ。東西冷戦の下で核兵器は早くから保有していたが、原子力発電については国内に石炭、石油などの資源が豊富なことから七〇年代まで「原発不要論」が主流。原子力はあくまで軍事利用優先だったという。
その方針が変わったのは、七八年に改革・開放政策が打ち出されてからだ。同年から昨年までの二十五年間で国内総生産(GDP)が年平均で9%以上と驚異的な伸びを示し、石油も九三年から輸入国へと転じる中で「将来の電力需要を満たすには原子力発電を進める必要がある」との考えに切り替わったからである。
原発の建設については、海外と国産の技術が混在している。大亜湾原発や嶺澳原発では、フランスの加圧水型軽水炉(PWR)を使用。秦山原発では、第1期1号機と第2期1号機は国産技術に基づくPWRだが、第3期1、2号機はカナダ型重水炉(CANDU)を導入している。江蘇省で建設中の田湾原発1、2号機はロシア型PWRで、中国の原発技術がいまだ海外に頼らざるを得ない実態を示している。
その一方で、建設ペースは速まっている。建設中の田湾1、2号機と秦山第2期2号機の計三基は二〇〇五年までに完成。今回、国務院が承認した四基も合わせると、二〇一〇年には計十五基、合計出力千二百七十万キロワットになる。現在、中国は世界十四位だが、ウクライナを抜き、英国に迫る世界八位の「原発大国」へと急浮上する。
中国は、さらなる原発推進構想も描いている。昨年十二月、沖縄で開かれたアジア原子力協力フォーラム(FNCA)大臣級会合に出席した中国国家原子能機構の張華祝主任は「二〇二〇年には、原子力を三千二百万キロワットにまで増強する。そのためには出力百万キロワット級の原発をさらに二十基建設する必要がある」と強調。実現すれば、二〇二〇年には米国、フランス、日本に続く世界四位の規模に浮上する。
日本貿易振興機構(ジェトロ)上海センターは昨年末、現地に進出した日本企業に上海市や江蘇、浙江省の電力事情に関する警告を発した。「二〇〇四年の電力需給はさらに厳しくなり、ひっ迫した状態は二〇〇七、八年まで続く見通し」という内容である。
今や「世界の工場」「世界の市場」と呼ばれる中国には、日本企業約三千社が八千カ所の拠点を構え、最大の貿易相手国だ。中国で電力不足が続けば、日本経済にも影響しかねず、経済発展とそれを支える電力供給との綱渡り状態がいつ解消されるか、日本企業の関心は高まっている。
中国の原子力発電所
発電所 |
出力(万キロワット) |
炉型 |
運転開始 |
所有企業 |
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中国広東核電集団公司・広東核電投資有限公司 |
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中国核工業集団公司 |
PWRは加圧水型軽水炉、CANDUはカナダ型重水炉(日本原子力産業会議調べ)
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