原子力の研究開発を取り巻く環境が厳しくなっている。全国の5大学に置かれた研究用原子炉のうち、京都大は2006年でいったん休止。武蔵工業大と立教大では廃止が決まった。京都大は米国が使用済み燃料の引き取りを中止することがきっかけだが、大きな施設だけに費用負担がかさみ、国立大学の法人化の影響も背景にある。全国の12大学・大学院に設けられている原子力工学課程の学生も減っている中、原子力の将来の担い手をどう育成するか、重い課題となっている。(編集委員・宮田俊範、写真も)
利用者 継続望む声
関西国際空港にほど近い大阪府熊取町にある京都大原子炉実験所。約三十三万平方メートルの広大な敷地の中央に、直径二十八メートル、高さ二十五メートルの円筒形をした研究用原子炉が稼働している。出力は五千キロワットと、百万キロワット級が当たり前の商業用原子炉と比べれば小ぶりだが、大学の研究用原子炉としては全国最大の規模だ。
一九六四年に運転開始し、四十年を迎えた。三島嘉一郎教授は「今は関係先に働き掛けて運転期間を延ばしたり、いったん休止してもすぐ運転再開できないか要請しているところだ。何とか休止せずに済めば一番良いのだが…」と説明した。
休止するのは、米国の方針が引き金である。商業用原子炉は濃縮度3―5%の低濃縮ウランを使っているが、京都大の炉は濃縮度93%の高濃縮ウラン燃料を燃やしている。米国はその特殊な燃料を製造し、使用後は引き取ってきたが、九六年に使用後の引き取りは二○〇六年五月までの使用分とし、それ以降は中止すると通告してきた。核拡散防止を狙った政策の一環だった。
「学生が実際に原子炉を動かしてみる実機教育の機会が失われるのをはじめ、さまざまな先端的、基礎的な研究に支障が出るだろう」と三島教授は休止に伴う影響を懸念する。
研究炉の目的は、商業炉のように熱を利用した発電ではなく、主に核分裂によって発生する中性子を実験、研究に利用するものだ。例えば、物質中への透過力が強い性質を利用して原子の並び方などの構造を調べたり、微量な元素を分析したりする。京都大の炉では、全国の国公立や私立大学、研究機関の共同利用施設として毎年約百五十件の研究を採択。延べ約八千人の研究者が来所し、利用している。
最近は、がんの放射線治療法の一つである「中性子捕捉療法」の研究が注目されている。細胞レベルで悪性脳腫瘍(しゅよう)や皮膚黒色腫などの治療に活用する試みで、地元住民の関心も高い。熊取町は「がん治療センターのような機能を持ってほしい」と期待している。
休止するきっかけは燃料問題だが、四月からスタートした国立大学の法人化も影を落とす。非常勤も含めれば約百八十人が働き、原子炉に直接かかわる予算だけで毎年約十億円。法人化によって年1―2%ずつ削減される方向のため五年先、十年先を見越した影響は大きく、ボディーブローのように効いてくる。
さらに万一、廃止する事態まで想定した場合、巨額の廃炉費用の負担問題も浮上しかねない。国内初の商業用原子炉である東海原発(茨城県東海村)の廃炉費用は約九百億円。京都大の炉は規模は小さいため約百億円とみられるが、それでも大学単独で賄えるような額ではない。
一方、武蔵工業大では昨年五月、原子力研究所(川崎市)にある研究炉の廃止を決定した。八九年に水漏れ事故が起きて以来、停止していた原子炉だ。コストを抑えた補修法などを検討してきたが、周辺住民の反対などもあって再稼働はあきらめた。
立教大の原子力研究所(神奈川県横須賀市)も一昨年、研究炉の廃止を決めている。京都大と同じく燃料問題を抱えたほか、年間一億円単位でかかる維持費の大きさも理由にあるという。
大学で相次ぐ研究炉の休止や廃止の動き―。国はその対策として日本原子力研究所が茨城県東海村に持つ研究炉(出力二万キロワット)の共同利用などを促していく方針だが、研究者の間ではあまり歓迎されていないようだ。あくまで国策遂行を目的とした研究機関と大学では利用の自由度などが違うからだ。
京都大の炉について、運転継続を望む研究者やがん治療の患者団体などは数多く、これまでに二十件の要望書が出ている。ノーベル化学賞を受賞した白川英樹・筑波大名誉教授も、この炉に通って研究しており、「ぜひとも運転し続けてもらいたい」と述べる。
原子炉利用研究グループ(代表幹事・中西孝金沢大理学部教授)は「研究が成果を挙げるまでには失敗の連続があり、成功するまで研究を営々と続ける風土が不可欠。京都大にはノーベル賞受賞者を輩出してきた自由の学風があり、休止が長引けば、日本の原子力利用の将来が危くなるといっても過言ではない」と主張。炉の将来について研究者の危機感は強い。
国立・私立大学の研究用原子炉
|
大学名 |
研究所名 |
研究用
原子炉名 |
出力 |
運転
開始年 |
所在地 |
現状 |
国
立 |
京 都 |
原子炉実験所 |
京都大炉
(KUR) |
5000キロワット |
1964年 |
大阪府熊取町 |
運転 |
KUCA(臨界実験装置) |
0.1キロワット |
1974年 |
大阪府熊取町 |
運転 |
東 京 |
工学系研究科附属原子力工学研究施設 |
東京大炉
(弥生) |
2キロワット |
1972年 |
茨城県東海村 |
運転 |
私
立 |
立 教 |
原子力研究所 |
立教大炉 |
100キロワット |
1961年 |
神奈川県横須賀市 |
解体中 |
武蔵工業 |
原子力研究所 |
武蔵工大炉 |
100キロワット |
1963年 |
神奈川県川崎市 |
解体中 |
近 畿 |
原子力研究所 |
近畿大炉 |
1ワット |
1961年 |
大阪府東大阪市 |
運転 |
(文部科学省)
|