中国新聞
2003.9.29

「成育の畑」
   干潟細る
 「里海 いま・みらい」  4.アサリ



試行錯誤 海の砦 独自の漁場保全

国産志向 なぜ激減


 


地図「大野・岩国・埴生」

アサリ漁獲量の推移 グラフサムネール「アサリ漁獲量の推移」
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防護用の網をめくり、生き残ったアサリの数や太り具合を調べる岩国市職員と漁業者(8月28日、岩国市の今津川河口)

  試行錯誤

官民挙げ 調査・外敵防除

 かつて山口県を代表するアサリ漁場だった岩国市沖合の干潟が危機的な状況に陥っている。年間漁獲量は4年前から実質ゼロ。地元漁協は休漁に追い込まれた。市は特産品だったアサリの資源回復を目指し、昨年度から激減の原因を究明するための調査、外敵の防除などが本格化。漁業者も加わり、官民が連携して漁場再生に取り組む。

 最盛期は1980年代。漁獲量は年平均367トンだった。当時から市は、トラクターで干潟を耕し、砂をまくなどして漁場を整備。県内一の漁場を守っていた。

 しかし、その後は減少傾向が続き、落ち込みが特に目立ち始めた95年から市は毎年、稚貝40トンの放流を始めた。漁業者も「再生の決め手」と期待したが、漁獲量は細るばかり。99年から統計上の数字はゼロになった。

 この間、異常渇水やアサリを食べるツメタガイの大量発生、エイによる食害はあったものの、激減の詳しい原因は不明。市も漁業者も途方に暮れた。「稚貝をまけばいいと安易に受け止めていた面もある」との反省から、本格的な調査が始まった。

 調査は、アサリの好漁場だった今津川、門前川河口の干潟で実施。エイを避けるための竹ぐいを25センチ間隔に立てたり、他の魚介類からアサリを守るネット(網目9ミリ)を張ったりして効果を確かめている。市によると、ネットを使っても稚貝の生存率はわずか3割。えさが不足し、死滅した可能性もあるとみている。

 調査では、幼生にも着目。今年1月から毎月、海水を採取して浮遊状況を調べている。しかし、見つかった幼生は7月の1匹だけ。市水産振興課の武居順二課長(55)は「厳しい状態」と危機感を募らせる。半面、実態が次第につかめるようになり、「潮の流れを考えた放流方法など今後の対策のヒントにしたい」ともとらえる。

 漁業者も調査や外敵の防除対策に加わり、一連の活動を通じて漁場管理の必要性を実感している。今津川アサリ共励会(62人)の広田悟会長(69)は「自分たちで漁場を守り、育てないと、アサリは戻らない」と考えるようになった。

 市は、市民を巻き込んだ資源管理、海の環境改善を目指す。森と川と海のつながりを再認識してもらうため今年3月、初めて市民や漁業者に呼び掛けて上流部にコナラなどの広葉樹を植樹した。約180人が参加し、「思ったより関心が高いことが分かった」と武居課長。人が手を入れ、守り育てる里海づくりへの模索が始まろうとしている。

 


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干潟一面に広がるナルトビエイ対策の竹格子(8月28日、山口県山陽町の埴生漁港前)

  海の砦

「竹格子」でエイ撃退

 山口県山陽町、埴生(はぶ)漁港沖合の干潟。竹格子が一面に並ぶ。その数625。碁盤の目のような「海の砦(とりで)」である。敵はナルトビエイ。「何としてもアサリを守りたい」。県や漁協関係者は闘志を燃やす。

 ナルトビエイはもともと暖かい海域に生息し、体の幅が1・5メートルもある。アサリなど二枚貝が好物で、瀬戸内海沿岸では一昨年、広島県大野町で初めて確認された。

 埴生漁協が異変に気付いたのは昨年夏。潜水による採貝が不調で、漁場を干潟に移した時だった。組合員が群泳するエイを目撃した。「船が前に進めないほどの大群だったそうだ」と大崎進組合長(70)。干潟には砕かれた貝殻が散らばり、40人で掘っても1個も採れなかった。

 漁協からの相談を受け、県が打ち出したのが全国初の竹格子作戦である。格子は一辺3・5メートル。内側は0・5メートル間隔で竹を組み、干潟の一部(1ヘクタール)に敷き詰めた。

 壊滅的な被害はなくなったが、守備は万全ではない。格子の目の真ん中あたりが狙われた。

 「子エイの仕業。暖海性なのに周防灘で繁殖し、すみ着いたようだ」。県漁政課の有薗真琴調整監(53)は予想外の事態に困惑。すぐに、格子の中央へ竹ぐいを立てた。格子を重ねたり、目を小さくしたりする対策も検討している。

 「干潟全体を竹格子で覆うのは難しい。何かいい方法はないか…」と大崎組合長。網に掛かったエイの駆除を続けながら、不安は消えない。

 


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干潟で黙々とアサリを掘る漁業者たち(9月11日、広島県大野町の下の浜)

 独自の漁場保全

100年の伝統も陰り

 広島県内有数の産地、大野町下の浜。「昔は一時間でバケツ3杯分も採れたのに…。何でかね」。40年前からアサリを採っている近くの沢岡チヨコさん(63)は首をかしげる。最近は1日で、せいぜいバケツ1杯程度という。

 下の浜で採貝しているのは3漁協の漁業者約240人。干潮と同時に浜に出て、寸暇を惜しむように黙々と手を動かす。アサリが減っても手は抜かない。干潟を耕して適度に酸素を送り込む効果があるためだ。

 下の浜では独特の方法でアサリ漁場を守ってきた。綱で干潟を約50平方メートルずつに区切り、各人の区画が決められている。その歴史は半農半漁だった100年以上前にさかのぼる。

 「自分の田畑を耕し、手入れをする農業と同じ。乱獲する者もいない。区切ったもともとの理由はよく分からないが、結果的に漁場を守ってこられた」。浜毛保漁協の高原清香組合長(68)は先人の知恵に思いをはせる。

 そんな漁場保全の努力のかいなく力を失った干潟。近くにコンクリートの防波堤などが造られてから減り始めたと漁業者の多くが感じているものの、裏付けはない。

 2年前、瀬戸内海で初めてナルトビエイの被害を確認。その前年にはホトトギスガイによる被害があり、減少に拍車を掛けた。

 エイからの防衛手段として、干潟のあちこちに竹ぐいを立てた。網で覆ったり、威嚇効果を期待してペットボトルをくいに結び付けたりした区画もある。「エイなど目に見える外敵を防ぐ努力なら漁師でもできる。でも、原因はほかにもあるに違いない。どう対処したらいいのか分からない」。高原組合長はため息をついた。

 
 
 国産志向

仕入れ値高騰 業者苦慮

 全国的なアサリの漁獲量減少は流通にも暗い影を落とす。消費者ニーズに対応して現在、国産だけを販売する生協ひろしま(本部・広島県大野町)は仕入れに四苦八苦している。

 入荷量の目標は年間約80トン。尾道市のほか、高知、三重、熊本県まで範囲を広げ、やっとかき集める状態が続く。仕入れ値も年々高騰。良質なLサイズの場合、この1年半ほどで2、3割増しの1キロ800〜850円になった。

 急場をしのぐため、韓国、中国産を仕入れたが、うまくいかなかった。昨春、広島県内8店舗で取り扱った中国産(300キロ)の売れ行きは当初からさっぱり。大幅に値引きしても売れ残った。

 「アサリに限らず、外国産の安全性を気にする組合員は多い。野菜の残留農薬問題もあり、不信感すらある」と商品部水産グループの宗原和志統括課長(41)。今でも国産なら必ず完売になるという。消費者の国産志向は強く、一日も早い安定供給を望む。

 
 
 なぜ激減

乱獲・温暖化… 解明なお時間

 アサリはなぜ減ったのか―。外敵の増加、生息環境の変化、地球温暖化の影響…。各地の研究者や漁業者は調査・研究や長年の経験から原因を探るが、明確な答えは出ていない。

 瀬戸内海区水産研究所(広島県大野町)の浜口昌巳主任研究員(42)によると、主な要因は(1)乱獲(2)河川改修や広葉樹林伐採など陸地側の影響(3)埋め立てなどによる生息環境の変化(4)温暖化など海洋環境の変化(5)外敵―の5つに大別される。

 全国的な乱獲の発端は、一大漁場だった東京湾の開発。1970年代、大規模な埋め立て事業が始まった。その影響で、漁獲量は3分の1の2万トンに減少。不足を補うため、漁業者の採貝が全国的に過熱。流通の発達も拍車を掛けた。アサリの幼生は、潮流に乗って移動。新しい砂のある河口域で着底し、成長する。ダム建設で川から流れ込む砂の量が減少し、成育を妨げる浮泥が増えた。埋め立てによる潮流の変化も加わり、着底できなくなったとみる研究者もいる。

 また、公共下水道などの普及で、生活排水などが直接海に流入しなくなり、瀬戸内海は水質が改善。窒素やリンが減り、アサリの成長にも影響しているとの見方もある。

 水環境だけではない。えさの植物性プランクトン「ケイソウ」も少なくなった。広葉樹林が減り、ケイソウの栄養分になる有機物が川から海に流れ出なくなったのが原因との説が有力。漁業者による内陸部での植樹活動も広がっている。さらに、温暖化で河口域の塩分濃度が上昇し、幼生の生息環境が悪化。外洋からナルトビエイなど新たな外敵も入り、食い荒らされている。

 浜口主任研究員は「一カ所を埋め立てるだけで潮流が変わり、広範囲に影響が及ぶ。さらに複数の要素が関係し、全容解明にはまだ時間がかかる」とみている。