客席で応援 気持ちいい

広島厚生年金会館長
宮地紀勝さん(65)
=広島市中区

 

  還暦を過ぎ、生まれて初めて野球場に足を踏み入れた。昨年七月、広島市民球場(中区)の右翼席。こちらを向いてあいさつする「赤ゴジラ」嶋重宣選手の姿に胸を打たれた。試合中、夢中で応援の声を張り上げる自分がいた。「なんでもっと早く、この楽しさに気づかなかったのだろう」
 スポーツは自分でやって楽しむものと思ってきた。プロ野球も、たまにテレビで見るぐらいだった。それが一変したのは、市民球場から南へ約一キロのマンションに娘が訪ねてきたのがきっかけ。風に乗って届く歓声と、ベランダから見える照明灯に、「行ってみようよ」と誘われた。スタンドでいつのまにか、われを忘れていた。「普段とは違う自分が球場では出せる。気持ちいい」。とりこになった。
 勤務の後、赤い帽子やメガホンを入れたリュックを背に一人で球場へ向かった。「観戦初年」の戦績は4勝1敗。負けても楽しかった。
 シーズンが幕を閉じ、「たる募金」が始まった。広島から関西、関東への広がりを知り、「わがホーム」に役立ちたいとの思いが募った。推進委員会事務局に電話をして、協力を申し出た。取引業者に提供してもらった四斗だるを、十二月からロビーに置く。
 宿泊やコンサートなどで、年間約六十万人が会館を利用する。お金を入れる人を見かけるたび、うれしくなる。半世紀前の「たる募金」の経験者もいた。連綿と続く市民の熱き思い。それを目の当たりに、新球場の実現を確信した。
 三月末に定年退職し、横浜市の自宅に戻る。四十年余りのサラリーマン生活で、最後の三カ月に球場通い。あちこちで暮らしたが、夢の一翼を担ったことで地元の人と一緒になれた気がする。「マウンドを、座席をつくるお手伝いをしたとみんなが思える球場は、ほかにない」。赤いメガホンと帽子は、広島の新球場で観戦する日まで、大切にとっておくつもりだ。

【写真説明】ロビーに置いた四斗だるにお金を寄せる人に、話しかける宮地館長 
(広島市中区、広島厚生年金会館)

みやち・のりかつ
鹿児島県串木野市出身。1961年に旧厚生省入り。95年から宮崎、高松、福井市の厚生年金会館の館長を勤めた。2003年4月に広島厚生年金会館の館長に。アルバイトを含め約200人の従業員に「笑顔の接客」を説く。

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