「広島人」結集 届け声援

沖縄広島県人会事務局担当
七條崇さん(28)
=沖縄県宜野湾市

 

  三度目の就職先が、カープの春季キャンプ地、沖縄県だった。二十六歳で初めて広島を離れ、第二の故郷にただならぬ縁を感じたが、思わぬ肩透かしを食らった。「沖縄の人って、カープに興味が薄いんですよ」
 一九九八年、勤務していた呉ポートピアランドが倒産。広島市内の人材派遣会社を経て、「もう一度、観光業界で働きたい」と、二〇〇二年夏に沖縄へ渡った。「沖縄なら、カープを身近に感じられるはず」との期待があった。
 初めて迎えた〇三年の春季キャンプ。沖縄市野球場であった阪神との練習試合に、帽子とユニホームシャツを身に着け、応援に駆け付けた。「どこを見渡しても阪神ファンばっかり。完全に浮いた存在でした」。選手と間違えられ、ユニホームシャツ姿に、子どもたちにサインを求められる始末だった。
 八球団が県内でキャンプを張るにもかかわらず、プロ野球人気はいまひとつ。「高校野球への関心は高いのに…。このままでは、沖縄からプロ野球が去ってしまう」。危機感から、盛り上げに動いた。
 手掛かりはカープ。パーソナリティーを務めていたエフエム放送で週一回、応援歌「それいけカープ」を流しながら、広島弁でカープの話題を話した。営業先でも「広島人」を探し歩き、結成四年の県人会のメンバーは百人に達した。
 〇四年の練習試合では、スタンドで応援の音頭を取った。地元高校のブラスバンド部にトランペット演奏を依頼。広島の「本家」応援団に倣ったスタイルで、約二百人が赤テープを巻いたペットボトルを打ち鳴らした。「一体感が気持ち良かった」。懐かしさと新鮮味が入り交じった充実感に酔いしれた。
 たる募金へも、率先して声を上げた。「沖縄の人たちはどう動いていいのか分からないだけ。呼び掛ければ非常に協力的なんです」。泡盛の製造業者から四斗だるを調達。ナインが練習に励む球場前で募金を続け、十一日の沖縄キャンプ終了時には四十一万円余りが集まった。
 「新しい球場のホームベースは、沖縄の人たちがつくったと胸を張りたい」。新球場のスタンドで、「沖縄バージョン」の応援を披露する夢を描いている。

【写真説明】カープのキャンプ地で、たる募金を呼び掛ける七條さん(沖縄市野球場玄関前)

しちじょう・たかし
 呉市出身。2002年に那覇市の観光業パムに入社し、無料観光情報誌「TABINCHU(タビンチュ)」を手掛ける。03年からは沖縄広島県人会の広報兼事務局担当を務める。

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