家族で観戦 思いを形に

夢球場アイデアで最優秀
日野唯史さん(46)

 

 広島夢球場アイデア募集キャンペーン(中国新聞社主催)で、千四百五十点から最優秀に選ばれた。「家族で行けて楽しい球場」。広島東洋カープは好きだけど、最近球場から足が遠のいている自分が、「こうなれば行けるのに」と感じるアイデアのもとを積み重ねた。
 日野家にとってのイチ推しは、電車の車両のようなボックス席。二女が昨年生まれ、幸せなのに、どこにも行けなくなった。「周りに気兼ねなく、安全に見たい。お年寄りや体の不自由な人にもいいでしょう」
 仕事は気ぜわしいしカープも弱いしで、ここ数年テレビ観戦もごぶさただった。それでも考え始めると、眠っていたファンの思いがポツポツとわき上がった。選手と同じ高さの目線で見られる透明なフェンス、応援団専用ステージ、外野席の外側の「ただ見」席…。
 本業は、路上観察の面白さを盛り込んだ絵地図の作家。魚の眼(め)を持つ鳥になって、空から見下ろすような作風で知られる。受賞作にも、グラウンド上に突き出たゴンドラ観覧席を描いた。
 原爆ドーム、お好み焼きなどを描いたはがきやカードを製作し、原爆資料館などで売る。昨夏から、題材に市民球場も加わった。皆実高(南区)の後輩に当たるミュージシャンの奥田民生さん(39)が、「市民球場でコンサートをやる」と発表したのがきっかけだ。
 「ショックだった。自分より下の世代で、東京に行った人にそんな思いが残っているとは…。広島にいる自分は価値に気づいていなかった」。市民球場も、原爆ドームや宮島と同じ広島の財産だと思い至った。新球場も、復興の歩みを刻んだ市民球場の「痕跡」を残し、記憶をたどる証しにしてほしいと願う。
 JR可部線可部―三段峡間の存続運動にかかわっていた。アイデアは無限にあったのに、あっという間に手遅れになった。「カープが二の舞いにならないためにも、千以上の応募作に詰まった『こうなったら行けるのに』という思いを、新球場の計画に取り入れてほしい」

【写真説明】副賞は年間指定席2席。「絶対空けないように、知恵を絞りたい」と話す日野さん(広島市東区の自宅兼事務所)

ひの・ただし
広島県府中町生まれ。広島市内のデザイン会社に勤めた後、1999年に独立。妻と高1の長男、中1の長女、10カ月の二女と暮らす自宅に、事務所「エディット・キュー」を構える。「キュー」には「球」の意味もある。

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