■「聖域化」で市民と距離
冬でも緑を保つ芝生はさくで囲まれている。人が入っていいのは年に一度の平和記念式典だけ。修学旅行生は石畳に座り込んで弁当を広げる。
監視カメラ設置
世界的指揮者ロリン・マゼール、ポップスターのスティービー・ワンダーら名だたる多くのアーティストたちが、ここでの演奏を望んだ。だが、果たせずにいる。
夜の人通りは少ない。平和記念施設へのいたずらや強盗などの犯罪も絶えない。一昨年、監視カメラやセンサーを付ける事態となった。
これが、平和記念公園の今の一面である。
福岡県の小学校教諭龍求さん(31)は、この公園に「平和、反戦を世界に訴える象徴的な場所」というイメージを抱いていた。広島市内で大学生活を送り、規制が多いことが気になった。「市民が普段着で平和を語る場にはなっていないのでは」と疑問を投げかける。
好きな場所2位
読者アンケート(一日付に詳報)で、平和記念公園は、広島の都心部で好きな場所の第二位に入った。併せて、市民にもっと近い、平和を体感できる場にしようとの提言も多く寄せられた。
利用を制限したのは、一九六七年に就任した故山田節男市長である。「聖域化構想」を打ち出し、芝生への立ち入りを禁じ、露店などを締め出した。労働運動や学生運動が盛んな政治の季節。「聖地で赤旗を振り回したり、ドンチャン騒ぎはいけない」。山田さんの当時の言葉からも、時代が透けて見える。
公園の歴史に詳しい広島女学院大の宇吹暁教授は「山田市長も本来、市民の参画を増やそうと考えていた」と指摘する。しかし時代の変遷につれ、「さまざまな平和の思想が寄り合う場」から、「式典への総理大臣出席が象徴する制度的な場」へ公園は姿を変えた。
ミュージシャンの南こうせつさん(54)は「政治家のあいさつより、希望の歌が力を持つことがある。僕も平和公園で歌いたい」と言う。世界のどこよりも平和を発信でき、街の真ん中にある公園をもっと生かせないか。昨年十一月、広島青年会議所がシンポジウムを開いた。
「コンサート夢」
具体論に踏み込まない遠慮がちな議論が続いた後、日本被団協代表委員の坪井直さん(78)が口を開いた。「平和公園が重々しく窮屈な場所であってはならない。『解放』のため、皆で熱意を持とう。コンサートは私の夢です」
被爆者の生の声に触発され、芝生の開放や音楽祭など具体案が次々出始めた。「新しいことは何もできないと決め込んで、議論をしてこなかったと痛感した」。パネリストの一人で、市の平和文化センター理事長も務めた吉中康麿・市文化財団理事長は振り返る。
坪井さんに、真意を聞いた。「世界中の若い人が、平和公園に何十万の魂が眠っとることを知ったうえで、何度も来たい好きな場所になってほしい。そうじゃないと、被爆者は浮かばれんです」
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波穏やかな湾に臨むデルタに、先人が街を築いて四百年余り。広島は戦後、原爆の惨禍から復興を果たし、中四国の中枢都市となった。グローバル化の波にもまれる今、街にかつての輝きがないという人がいる。本当だろうか。都心再生をテーマに、読者アンケートをした。広島らしさを生かし、磨き直そうという声が多く寄せられた。平和記念公園や市民球場、川など「地域の遺伝子」ともいえる魅力や個性にいま一度光を当て、都心のあしたを探したい。
2004.1.5
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