タイトル「ひろしま 都心のあした」
  パート 1  6つの遺伝子

    6.コンパクト
 

 ■狭さを逆手 活気集める

 どこを指して、広島市の都心とするか。読者アンケートでは、前もって断らなかった。だが、五百五十通の回答から浮かぶ「都心」は、くしくも重なり合った。

 北は広島城、南は平和大通り、東はデパート群の八丁堀、西は平和記念公園の辺りまで、である。「都心といえば、あの辺り」と見当がつく一体感―。ひとえに地勢のたまものだろう。

写真「本通り商店街」
住み、働き、遊び、味わう…。狭い三角州に、都市機能がひとまとまりに集積する広島都心

人を呼び戻す

 毛利藩の城下町から約四百年。海と山に挟まれた三角州に、行政、経済、教育などの中枢機能を凝縮し、陸、海、空のネットワーク拠点も形成してきた。半面、狭さが最大の弱点とされてきた。

 「手狭さを逆手に取ればいい。街を縫う路面電車もあり、一体感のあるコンパクト・シティーの素地が広島にはある」。二〇〇二年春に大阪から移り住んだ広島修道大の三浦浩之教授(43)=都市環境システム=は、こう見立てる。

 「住み、働き、遊び、学び、味わうといった都市機能をひとところに集積するコンパクトな都心づくりが、これからの潮流になる」と三浦教授。通勤時の渋滞、大気汚染、里山の乱開発など、郊外化とクルマ社会の弊害を抑えるためにも、にぎわいと人を都心に呼び戻そうという流れだ。

目立つ空き地

 自動車の大衆化に伴う郊外化も、かつては世界的な流れだった。広島でも、広島大や空港などの核施設が次々に市外へ移った。「一九八〇年代前半には、都市間競争に駆り立てられ、行け行けどんどんの都市圏拡大、成長路線を選んだ」と同市中区のシンクタンク中国総研の主任研究員、佐藤俊雄さん(48)。

 その代表格が、西風新都。広島アジア大会(一九九四年)を誘い水にアストラムラインなどの基盤整備を進め、会場跡地の副都心化をめざした。十年後の今、人口は目標十万人に対し四万人余り。アストラムラインは構造的な赤字に悩む。

 郊外化に伴って、都心部では空き地が目立つなど空洞化が進んだ。今、あちこちに横たわる跡地は、移転後の都心像を考えてこなかったツケともいえそうだ。

 土地バブルがはじけて十年余り。買い手がつかなかった土地が値下がりし、広島都心でも今、マンション開発が熱を帯びる。市内で最も高い地上百六十六メートル、四十三階建て超高層マンションの開発業者は「あと数軒で完売。老若問わず、都心回帰のニーズは強い」と時代の変化を感じ取る。

膨張から凝縮

 「体づくりばっかりじゃつまらない、ゲームや遊んだりするから楽しいんでしょ。街も同じこと」と言うのは都市計画家の松波龍一さん(56)=広島県湯来町。「高度成長期から一心不乱につくり続けた都市基盤をどう使えば面白くて、にぎわう空間になるか。使い方を考える時代に、都心はぴったりの舞台。不景気でハコモノ行政に財源がないのも、追い風だしね」。自身、道端で青空カフェなどを楽しむ。

 日本全体が今後、かつて経験のない、人口減の時代を迎える。都市の成長を支えた人口増パワーは、もう当てにできない。「膨張から凝縮へ―。コンパクトなまちづくりは時代の要請でもある」と三浦教授は説く。

 平和記念公園や六本の川、路面電車、本通りや流川地区のにぎわい…。今回取り上げた「地域の遺伝子」を元手に、コンパクトで回遊性の高い広島都心をどう再生するのか。広島市は今、初めての都心マスタープラン(仮称)づくりに取りかかっている。

<パート1おわり>

石丸賢、増田泉子が担当しました。


2004.1.10