「あつき(阿月)」という地名の語感と字面がなぜか、昔から好きだ。火祭りで名高い「阿月神明祭」は一月ほど前に終わり、今は静かな海辺。この地は維新回天の事業に多くの志士を生み、奇兵隊の重鎮も出した。彼らを育てた学問所「克己堂」の門は今も、阿月小の敷地に残る。
子どもたちがつくった手づくりマップ「阿月めぐり」をもらい、さらに南をめざす。対岸に周防大島が見え、前方に下荷内(しもにない)島、上荷内(かみにない)島が見えてくる。この二つの無人島と室津半島に挟まれた海峡は、豊後水道からの潮が出入りを繰り返す。
「ヒジキが浮いて、呼んどるよ。そう言うては採りに下ります」
すぐ袋一杯に
柳井市中心部から室津半島を南下、海沿いを走ると、相の浦の岩礁が見えてくる。「柳井市史」によると、岩礁は平郡島では「磯」と言い、阿月では「瀬」と言う。地元の大空和子さん(66)は、妹の松居信子さん(62)=山口県大畠町串=を誘っては、この季節、ヒジキ採りに精を出す。
「今年で四年目かね。仕事がパートになってから、よく来ます」
鎌(かま)とネットのごみ袋があればいい。水際で刈り取っては詰め、刈り取っては詰め、すぐ袋一杯になる。これを自宅に持ち帰り、四時間ほどとろ火の鉄釜でゆがくと褐色から真っ黒になる。さらに天日で干すと、十分の一ほどの分量になる。
ふりかけ好評
「海の香りがして、柔らかくておいしい。人に分けると喜ばれます」
大空さんは柳井市内のホテルの厨房(ちゅうぼう)で働く。ヒジキはふりかけに加工すると、プロの料理人たちにとりわけ好評だ。お客に出すほど量がなく、大きな声では言えない。二十代のころまでいた郷里の福岡県前原市では、シジミを採っていた。通りで慣れた手つきで刈り取っていく。
「こう暖かくなると、ヒジキの季節も終わりですねえ」
夢中で何時間もヒジキを採っていると、潮はどんどん引き、砂地に波がつくった紋様が浮かぶ。腰を下ろすと、生き物がはって動くたびに水が光る。人の心臓のような、怪しげな生き物も取り残されていた。なぎさ水族館(山口県東和町)の佐々木克明さん(46)にデジカメの画像を見せると、これがアメフラシ。少しずつうごめき、数メートル先の水際をめざしていた。
2004.3.14
写真・荒木肇、文・佐田尾信作