「いっぺん見てみんと、この潮流のすごさは分からんよ」。愛媛県宮窪町の漁師、藤本二郎(にろう)さん(46)に誘われ、小型漁船に乗せてもらい、大島と能島に挟まれた宮窪瀬戸に向かった。
宮窪港から五分余り。瀬戸内海を制した村上水軍の拠点だった能島に近づくと、海が川のように流れ出した。飛沫(しぶき)を上げ、水面が白く泡立つ。激しい流れは絶え間なく渦をつくり、無数の気泡を海中深くに吸い込んでいく。
船で巡り体感
密集する島々を縫ってきた潮流は、宮窪瀬戸で最速九ノツトまで速まる。瀬や海底の岩礁にぶつかり、変化に富んだ渦潮を生みだす。そのうねりの中を進もうとすれば、船体が揺れながら大きく沈み込む。潮流を知りつくした水軍の技量と、天然の要害を実感できる。
藤本さんが会長を務める若手漁業者グループ「水産研究会」は二〇〇一年から、地元まちおこしグループ「水軍ふるさと会」と一緒に「潮流体験」を続けている。小さな漁船に乗って、手の届く距離で潮流と渦潮を体感してもらう試みだ。
乗船料五百円で、宮窪瀬戸一帯を約二十分間巡る。まちおこしグループのボランティアガイドも好評だ。四〜十一月の土日限定のイベントだが、初年度は九百六十二人、〇二年度千七百六十七人、昨年度は三千二十人にまで増えた。
一九九九年のしまなみ海道開通がきっかけだった。「島外の観光客だけでなく、町内の人にも漁師しか知らない渦潮を自慢してほしかった」と藤本さん。「もう一度乗りたい、という声が一番うれしい」と、赤銅色に焼けた顔をほころばせた。
美術館構想も
藤本さんたちの試みに刺激され、地元住民グループによる「潮流美術館」構想も浮上している。潮流景観を満喫できる遊歩道や展望台などを対岸の大島に整備。海と陸から潮流を生かした地域づくりを進めるため、今夏の民間非営利団体(NPO)法人化を目指している。
「瀬戸内の原風景を残す自然と、潮流がはぐくんだ海賊の歴史に焦点をあてたい」と、提案者の一人である渡辺範之さん(48)。十月には、村上水軍の歴史資料を一堂に集めた町立の「村上水軍博物館」がオープンする。海城としては唯一、国史跡に指定されている能島の本格調査も昨年、始まったばかりだ。「失われた海賊時代がよみがえれば、地域ぐるみの活動が加速するはず」と期待する。
港近くの観光案内所を訪ねると、千通を超える「潮流体験」の感想を記した用紙が残っていた。「潮流のマイナスイオンをいっぱい浴び、心身ともにリフレッシュした」。そんな二十〜四十代の女性の声が目立つ。かつて「海賊」の海として恐れられていた瀬戸が、四百年の時を経て、癒やしの場に様変わりしようとしている。
2004.3.28
写真・田中慎二、文・古川竜彦