「失礼ですが、最初は自転車でしたよね」
光市役所に立ち寄ると昔なじみの幹部職員が声をかけてきた。二十二年前、運転免許がなかった記者は数カ月ばかり、徳山駅から光駅までJR山陽線に乗り、自転車でこの町を回った。車もないが、パソコンも携帯電話もなく、小さな記事一つに苦労した日々。島田川も自転車で渡ったのだろうが、思い出せない。
干潮に集まる
「沖にいたセグロカモメが朝はあの砂州に集まる。潮が引くことが本能で分かるんでしょう」
三月下旬、朝の島田川河口。光市虹ケ浜の元教員山本健次郎さん(76)は一九八三(昭和五十八)年から五年間、市内の浅江小に勤務し、退職。その後は愛鳥家として河口の自然を見つめてきた。北上中の冬鳥、セグロカモメは川の真水で塩分を洗って体を乾かし、夜は沖でイワシを捕る。安息の砂州に浮かぶのが写真のような紋様だ。
「波が荒い干潮の時できます。穏やかな波ではできない」
強い風が波を起こし、その波が寄せては返すと河口の砂州に確かな弧を描く。花こう岩が細かく砕かれた砂でなければできない。島田川流域は風化しやすい花こう岩が広く露出。吐き出された大量の土砂が河口の砂州、右岸の虹ケ浜海岸、左岸の室積海岸を形づくってきたが、それが次第にやせ細っている。
「雑木が切られ、田のあぜがコンクリートになり、ため池がつぶされ、山と川の間に『遊び』がなくなったんです」
腐葉土や雑木の根が持つ保水力がなくなり、川の水量が乏しくなる。川が運ぶ有機物も減る。ゴカイやカニなどの底生生物がいなくなり、それをえさにしていたシギやチドリなどが姿を消した。
無人島で繁殖
「カワウのコロニーを見ましょうか」
新日鉄住金ステンレス光製造所の敷地と左岸の堤防の間の道を突き当たると、大水無瀬島、小水無瀬島が目に入る。瀬戸内海というと、多島美のイメージだが、風波に浸食されたこの無人島は絶海の孤島のようだ。小水無瀬の木々におびただしい数のカワウ。繁殖力が強く、ここ数年増えている。
「二十年ほど前は沖にノリ養殖する竹のヒビもあったんですがね」
河口から上流に戻る。もう季節外れの冬用タイヤを付けた四駆で島田川を渡り、山本さんを自宅に送る。図らずも自分の記憶をたどる小さな旅だった。山本さんの「水先案内」で…。
2004.4.4
写真・荒木肇、文・佐田尾信作