孤島の放牧地は牛の楽園だった。狭い畜舎につながれることもなく、好きなだけ草を食(は)む。「放牧というより実際は放置。ただ、勝手気ままでストレスはないと思うよ」。甲(かぶと)島で牧場を営む松本秀久さん(60)=大竹市油見=が高笑いした。
月に数回訪問
甲島は岩国市の沖合約十一キロに位置する周囲約二キロの無人島。一面に背丈の低い笹(ささ)が茂る丘陵地で、黒毛和牛一頭を放牧している。桟橋はなく、満潮時でないと船は着けられない。潮を見計らって松本さんと島に向かった。
「エンジン音を聞き分けるんだろうね」。船が近づくと、牛が海辺まで下りてきた。体重八百キロ以上、立派な角を備えた巨体が松本さんにじゃれつく。みけんをかまの背でなでてやると、子牛のように目を細めた。
島での放牧は父親の代から。大竹市の牧場周辺に住宅が増えたため、四十年ほど前に島の市有地を借り受けた。手作業で道をつけ、小屋を建てて牧場を整備。松本さんも手伝った。最盛期には乳牛を十数頭飼っていたが、父親が亡くなった後は肉用牛に切り替えた。
世話をしに来るのは月に数回。牛がひもじい思いをしているのでは、と尋ねたら、逆だった。「人間の都合で育てるより、よほどまし」。畜舎にいる牛に与える配合飼料はぎりぎりの量だけ。そうしないと採算が取れない。
肥よくな土壌
それに対し、島の牧草は豊富だ。餌代を気にする必要はない。運動量も多いから、肉付きが違う。本土から離島に追いやられた牧場は、牛にとって「天国」だった。松本さんは、経営規模を拡大する構想を練っている。
そんな島もかつて境界争いで揺れた。牧場がある北東部(一三・一ヘクタール)は大竹市、南西部(一二・五ヘクタール)は山口県由宇町。島の中央にある鉢ケ峰(一〇二メートル)の稜線(りょうせん)に沿って県境が通る。
「採草や採石、漁業をめぐる紛争で、けが人が出たとも聞いている」。由宇町議会議長で、町史編さんに携わった村田昭輔さん(70)によると、争いは江戸時代から。山口、広島両県の間に内務省が立ち、裁定した明治初頭まで続いた。
その際、重視されたのが由宇農民との結びつきだった。甲島は由宇が属した岩国藩指定の採草地。刈った草を干し、肥料として田にすき込んでいた。「手こぎ舟で行くだけで半日仕事だったはず。米作りへの執念を感じる」と村田さん。
当時、採草のための山焼きも行われ、今日の肥よくな土壌をはぐくんだ。そこに生える草を求め、黒牛は県境を行き来している。
2004.4.18
写真・荒木肇、文・三藤和之