ジャガイモの特産地とは聞いていた。味、食感もいいことは知っていた。が、畑は荒涼とした原野を思わせるれんが色。雨上がりだったので、色合いは一段と濃かった。
広島県安芸津町木谷の赤崎地区。地名が示すように、瀬戸内海沿岸部でよく見かける黄土色の真砂土とは表情が異なる。
京阪神へ出荷
「うちの顔みたいに肌がすべすべなんよ」。畑の手入れをしていた平岡定子さん(78)が大笑いした。赤崎のジャガイモは、皮が赤みをおび、表面のでこぼこも少ないのが特徴。「(赤)(まるあか)馬鈴しょ」のブランドで主に京阪神へ出荷され、高値で取引されている。
別の段々畑では、保本公子さん(55)が余分な種イモを抜いていた。「ここのは日本一」。今年三月、北海道で食べ比べ、「間違いない」と確信したという。他の畑で尋ねても自信満々だった。六、七月と十一、十二月の二回収穫でき、量も安定している。
赤土がなぜ栽培に適しているのか―。保本さんに促され、地区内の大成秀和さん(66)宅を訪ねた。
「赤土は流紋岩が風化してでき、鉄分が多い。マグネシウムやリンなどミネラル分が味に影響している」。大成さんは元中学校長で、理科の先生だった。在職中は兼業だったが、今は畑作に専念している。
作業小屋の軒下で、集荷用のコンテナに腰掛けての解説は続く。土がきめ細かく、水はけのよさと保水力が適度に調和していることも教わった。雨が少なく温暖な気候も手伝い、「まめ(健康)なイモになる」。まるで授業のようだった。
男は出稼ぎへ
前の道を、荷台付きの耕運機にまたがった大成かずえさん(75)が通り過ぎた。「若い者がやらんから、この年になって泣き泣きしょうるんよ」とは言うものの、赤崎一の働き者と評判だ。
「農業の担い手は昔から女性だった」。地区内に住む元県農業改良普及センター職員の殿畠昭二さん(77)によると、安芸津町でジャガイモ栽培が始まったのは明治末期。町は広島杜氏(とうじ)発祥の地でもある。男たちは、当時から冬になると四国や九州のほか、ハワイの酒蔵にも出向いた。夏場は塩田での稼ぎに精を出した。
平日だったこともあり、畑で見かけたのは大半が女性。亡夫、会社勤めの夫に代わって畑を守る。竹原市など周辺地域で、「結婚するなら安芸津女」とささやかれていたのもうなずける。赤土はジャガイモをはぐくむ緋(ひ)もうせん、女性たちは今も畑の大黒柱だ。
2004.5.2
写真・田中慎二、文・三藤和之