瀬戸内海国立公園指定70周年
「ふるさとの海」  20.島四国遍路
伊予大島(愛媛県吉海、宮窪町)

     巡礼と地元接待
       人情が紡ぐ
         しまなみの風物詩
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Photo
金剛杖の鈴の音に、流れの速い来島海峡の潮騒が彩りを添える遍路道
地図「伊予大島」

 加護を念じ、ひたすら歩みを進める白装束の列。もてなす地元の人々。互いの一途(いちず)が響き合い、温かい人情が島を包んでいた。

 瀬戸内しまなみ海道の愛媛県・伊予大島(吉海、宮窪町)。四国八十八カ所霊場「本四国」になぞらえた准四国霊場「島四国」がある。全行程六十三キロで、旧暦の三月十九〜二十一日が縁日。今年は五月七〜九日だった。

  来島海峡望む

 三十八番札所の仏浄庵。岬の突端近くにあり、来島海峡を一望できる。「ようお参りなさいました」。遍路さんを迎える地元の主婦川又美和子さん(58)。茶菓を差し出し、ねぎらった。

 「島の皆さんのおかげで心安らかに歩ける」と、三十年近く巡拝を続けている高下知さん(57)=愛媛県松前町。大島には、札所ごとに住民が飲食物を振る舞う接待の風習が残る。同行二人。弘法大師とともに巡礼する遍路さんに奉仕することで、おかげが受けられるとされる。民家が宿を提供する善根(ぜんこん)宿(やど)も続く。

 島四国は文化四(一八〇七)年、地元の医師毛利玄得らが開創。当初から多くの遍路さんがやってきた。「本四国と違い、短期間で一巡できる手軽さが評判を呼んだ。それは今も同じ」。五十八番札所の霊仙寺で、地元の郷土史家藤田喜義さん(72)が教えてくれた。

  減る徒歩の姿

 島四国は、海道沿線を代表する風物詩の一つ。玄得の志は脈々と受け継がれている。ただ、気掛かりもある。海道開通から丸五年。徒歩で巡る遍路さんは減った。

 「橋ができて人情が荒れ、かえって不便になった。行く末が気になる」。来島海峡に面した急しゅんな山道を、金剛杖(こんごうづえ)を手に進む川井康三さん(75)=愛媛県西条市=がつぶやく。三十六年間、欠かさず巡拝し、全行程を歩き通した。

 マイカーや観光バスで回る遍路さんが年々増加。道中で袖すり合う機会はめっきり減った。善根宿も少なくなり、頼みにくくなった、と言う。

 七十九番札所の福蔵寺住職で、伊予大島准四国霊場会事務局の河野之(しはん)さん(46)によると、遍路さんの八割方は車を利用する。善根宿は高齢化や生活様式の変化で数えるほどに。遍路の経験がない島の住民も増えてきた。

 島四国は三年後、開創二百年の節目を迎える。「原点に戻り、歩くことの意味を再認識したい」と河野さん。縁日以外のウオーキングイベントを既に始めており、参加者、島内の協力者とも増えてきた。時代の変化を享受しながら、心のふるさとである島四国の新しい姿を探る。

2004.5.16

写真・田中慎二、文・三藤和之


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